稍ゝおも

ややおもしろく、ややおもたく、jajaのJa,Ja,おもうこと

新風館にて

5月半ばに関西の映画館が再開してからこっち、見た映画を羅列すると・・(映画館で観たやつだけね)。

『ドント・イット』『わがままなバカンス』『ナンシー』『21世紀の資本 』『白い暴動』『レ・ミゼラブル』『ナイチンゲール』『もみの家』『ストレンジ・シスターズ』『王様になれ』『人間の時間』『 暗数殺人』『アリ地獄天国』『精神0』『性の劇薬』『在りし日の歌』『音楽』『緑の山』『我ら山人たち』『山の焚火』『恐竜が教えてくれたこと』『ヘヴィ・トリップ』『ルース・エドガー』『許された子どもたち』『アメリカン・ドリーマー』『デッド・ドント・ダイ』『ハリエット』『未成年』『色男ホ・セク』そして今日は県境ならぬ府境越えしてアップリンク京都にて『ホドロフスキーのサイコマジック』『DUMB TYPE 高谷史郎-自然とテクノロジーのはざま』『pH』・・ちょうど月に30本か。普段はパスするような作品も観ている。もちろん面白かったやつもしょーもなかったやつもあるけど、もう、映画館にいるのが幸せ〜って感じで次々観ましたな・・。今後はもう少しペースダウンして普段通りに戻そう。

で、知らなかったんだけど、このアップリンク京都が入った新風館に、また今どき話題のACEホテルが入ったのね。本格営業はまだだそうだけど、いまその前にいろんなお部屋を見せてくれていて、なかなかのもんです。映画の前にいろいろ見学して回って楽しんでます。今度は映画のついでに泊まりに来ようかな。

建て替わる以前の新風館も好きだったけど、今回も風の入る構造、なかなかのもんです。

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お月さま・・

昨夜(日付は一昨日)は満月。新しい日常とやらはっきり言って異常な生活が始まってから三度目の満月になる。4月は桜の花の満開の下の満月、5月は黄色に映えるスーパームーンだったけど、6月はネイティブアメリカンがストロベリームーンと呼ぶ月なのだとか。・・だったはずが大阪は分厚い曇り空。真夜中中天になる頃に漸く朧に見える程度でした。その代わり、今夜(日付は昨日)の十六夜の月はものすごく綺麗に見えてます。少し離れたところから木星と、そのあともう少し暗い土星がくっついて追っかけて来てるのがかわゆい。

下の写真は十三夜の月。心斎橋シネマートで映画見たあと御堂筋を北上して帰る途中で見た光景です。お星さまは世界の贅沢ブランドのしるし。このビルの下にはショーメとディオールとフェンディが入ってます。ショーメの宝飾品なんてわたしには一生縁がないだろうけど、結構好きなのよね。見るだけなら・・ってホントは手にとって肌に触れてみてみたいものだけど・・。

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この下のは今夜(日付は昨夜)の十六夜月。橋は飛翔橋です。

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近くで月見パーティーというわけか、焼肉で飲食してる一群がいた。すれちがうときに耳にした言葉は中国語でした・・。

みんな、普通に戻ってる? 電車は結構混んでる。ほぼ全員マスクして黙ってるからええようなものの、夜の飲食店街とか通り抜けると、みんな普通にマスクなんかせずに飲み食いして騒いでるんですけど・・。

京大の宮沢孝行先生によれば、みんながマスクして黙って観てる限り、映画館など空き席を取らないでも満員の客を入れてもいいんじゃないかと。ソーシャルディスタンスはもともとマスクしない欧米の常識から考え出されたもので、マスクしてればそれほどの距離は必要ないと。確かにね。でも、みんなむしろ一人で黙って歩いてる時はマスクしてても、人としゃべるときとか外したりするでしょ。飲み食いするときに外して、それからちゃんとマスク付け直してからしゃべるなんてめんどくさいことしないで、外した隙に喋ったりするでしょ。映画館に来る人がみな(わたしもそのひとりであるところの)一人で来て黙って座って映画見るだけの人ならともかく、友達と一緒に来たらやっぱりしゃべるでしょ。気持ちはわかる。わたしだってそうだもの。親しい友人など、まーこの人と一緒やったら移し移されてもいいかなって人とは(いちいち意識するわけではないがなんかこの人ならいいけどこの人は嫌ってのがある。見知らぬ人は絶対いや)、マスク越しにしかしゃべらないなんてことしないし、ソーシャルディスタンスなんて距離も取らない。みんながウイルスのことを気にかけて常に常に優等生的に振る舞えばいいけど、なかなかそういうわけにはいかないもんね。そういうリスクを織り込みながら、少しずつ経済活動再開していくしかないか・・感染第二波は怖いけど。

あ、そうそう。アベノマスク届いたんですよ。しかし、わたしの住んでるところにはまだ。なんと事務所のポストに放り込まれていた。ホントに誰かが言ってたとおり、まるでポスティングされる広告付きのポケットティッシュみたい。え、なんで? ここには誰も住んでないのに、と思ってよくよく見ると、一住所につき2枚の配布、一世帯につきではないのね。してみると、わたしは一人で合計4枚受け取ることになる。要〜ら〜ん〜〜〜!!!!! それにしても仕事場と住んでるところは歩いて2分ぐらいだし同じ区なのに、道路隔てて別の町内になるからというのか、住んでるマンションには未だ届きません。届いたらどこかに寄付とか考えよう・・しかしどこか引き取ってくれるところはあるかしら?

持続化給付金は5月分で申請することにしたのだけど、最後の最後、本人確認書類(という一番簡単なはずのところ)で頓挫。わたし運転免許もマイナンバーカードももちろん住基カードも持たないもんで。普通ならパスポートと健康保険証と年金手帳とどれか一つないし二つでいけるはずが、その組み合わせではダメ。このためにわざわざ住民票を取りにいかないといけない。もう、なんなんだこれは? 嫌がらせとしか思えない・・。なんでもっと申請する人のことを考えた仕組みにできんのや? で、その事業の請負がまた巨大な中抜けの仕組みになっているとか。で、政府の行うあらゆる事業に電通パソナが関わって、その都度実態のない組織や丸投げの仕組みで巨大な利益を吸い上げてそれを自民党に還流させているのだとか・・。もう、何をか言わんや。仕事で電通と関わったこともあるし、知人もいるし、電通の中の人、いい人も悪い人も、仕事ができる人もできない人も、いろんな人を知ってるけど、それぞれはそれぞれの人間なのに、組織となるとこういうことになっちゃうわけか・・。というか、選挙も、民衆にアピールするイメージ戦略なども、ぜんぶこういう広告業の大手が牛耳ってるのだとしたら・・。ポスト資本主義の世の中で広告という情報を操り欲望を操る装置の重要さはいくら強調しても強調したりないけど(ってこれに相当する日本語ないものか)この見えざる権力にくれぐれも騙されたり呑みこまれたりしないようにしなければ・・なんだけど、映画に限らずあらゆる表現に、やっぱりこの広告(広報・宣伝・販売促進)は付きものなんですよね。SNSなどプラットホームは変わりつつあるのだけど、何か本質の部分では変わらないところがあるような・・。

言うてるとまた書けなくなるな。今日もまたWe Are OneのYouTubeチャンネルからヴェネツィア映画祭のセレクション2本、サンセバスチャン映画祭のを1本。これまでここで見たものといえば、東京国際のもあるけど、あとはトライベッカ、アヌシー、ムンバイ、ニューヨーク、サンダンス、ロッテルダムグアダラハラの各映画祭。そういえばサンダンスだっけかの作品を見る前に、これまで犠牲になった黒人の人たちを偲ぶための黙祷タイムがありました。残念なのは、いろんな監督や俳優からのメッセージや面白い組み合わせの対談があったりするのだけど、英語のヒアリングが思うに任せぬ身なものでなかなか難しいところ。他にも、いろいろネット配信でゴダールセルジュ・ダネーの対談見られたりとかするのだけどフランス語のヒアリングがなぁ・・。もうだいぶ前になるけどヨーロッパでロックダウン始まってごく初期の頃にあったゴダールのロングインタビュー、フランス語だけでは歯が立たず、英語字幕がついてからなんとか見たけど、それでもまたどうもよく理解できてないもんな。外国語能力はいつまでたってもダメですね・・。外国語学習は辛抱強く勉強することが必須なことはわかってるのだけど、そのコツコツが苦手な身は、ついつい基礎努力を怠ってるくせに背伸びしようとしてしまうもので・・。

 

地は久しく天は長し

朝からひと仕事終えた梅田から(自宅から梅田までももちろん徒歩)まず渡辺橋まで出て堂島川沿いに中之島を西の端まで歩く(川沿いを歩くのがやっぱり好き)。そこから安治川と木津川(はるか上流で消えた名前が河口近くで復活するのも面白い)に挟まれた川口(旧川口居留区)を突っきり、松島新地(ふだんこっち側は通らない。昼間から開いてた店も数軒あったな。飛田でも思うのだけどお姉さんたちホントに綺麗です。)を抜けて、再開なって初のシネ・ヌーヴォまで。意外と時間も歩数もかからなかった。受付に山崎さんの姿を認めてなんか涙が出そうになったわ・・。
今日明日つかってフレディ・M・ムーラーFredi M. Murerの山・三部作(マウンテン・トリロジー)を見る。随分昔にぜんぶ見ているけどね・・今回はやっぱり観よ。それと見逃していた(というか当初はパスしよかなと思ってた。わたしって日本のアニメにわりと冷淡なの。今回のは信頼できる筋から熱烈お勧めと聞いたので)『音楽』も。
で『音楽』もなるほどよかったのだが、今夜は前に下書きしてた以下だけ投稿しておきます。
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『精神0』想田和弘(2020)
「仮設の映画館」で見て、また再開なった七藝で観た。なんだろう、この優しさと思いやりに包まれた空間は・・。山本先生の「ゼロに身を置く」は木村敏さん言うところの「祭りの前」でも「祭りの後」でもない「ゼロの時間」でもあり、あれこれと欲に囚われる心を束の間解放することでもあり・・「祭りの前」も「祭りの後」も欲得もそれが人間を人間でしかないものにしている要素であり(たぶんネコの時間はゼロ±ほんのわずかしかないと思う)一人ひとりが「大事にせんといかん」ものなんだけど、それを一日一回でも、あるいは一週間に一回でも、ゼロにしてみる・・。その簡潔にして凄い哲学を誰にでもわかるように言う、その「先生」を、患者の方が逆に気遣う、上下のないフラットな目線。患者の方から学ばせてもらったという先生の謙虚さ。しかしその先生は家事となるとからきしダメである。これまで奥さんに頼りきってたのが丸わかり。その芳子さんも認知症になってすら、基本の人格は変わらないのね。頭が良くて勘が冴えていつもくるくる働いてた人なんだろう。だからじっとしてられない。もう、いいからおとなしく座っときと言いたくなる場面でも何かやってないと気が済まない。その手の仕草やその表情や・・予告篇にあった場面で「僕の手を持って」とか言いつつさっさと歩いていく山本先生に「両手ふさがっとるやん!」とツッコミたくなるのだが、そのあとようやく気づいて振り返って帰ってきて、ちゃんと手を掴むまでの仕草のやりとり・・危なっかしい墓地での一歩一歩・・一つ一つの仕草やことばのやりとりが、人生の一刻一刻の貴重な時間である。想田監督の観察映画シリーズは全部見ている。のだけど、全部いいな。「観察」は「判断」をしない。判断はしないんだけど、どうしても判断している部分がある。できるだけ関与しないんだけど、やっぱりどうしても「関与」している部分がある。そのあわいに滲み出てくるもの人生のある瞬間がまた貴重である。
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『在りし日の歌』地久天長 So Long, My Son (2019) 王小帥 ワン・シャオシュアイ

地久天长 (电影) - 维基百科,自由的百科全书

邦題は中原中也の詩集のタイトルのまるパクリだけど、中也の「在りし」も亡くなった息子のことを言ってるのでまあ間違いではないのだろう。けど原題の壮大さには敵わないな。そいえば『天長地久』というタイトルの香港映画、アンディ・ラウの主演でありましたっけ?アアロン・クォックのも? 地は久しく天は長し。中国語(漢字)っていいなぁ・・。
二組の夫婦とその息子を軸に、一人の息子が喪われ、その代わりになるはずだった二人めもあらかじめ失われ、そのあとに三人めの代わりの子が差し出され・・「親」と「息子」と「友」のかかわり、反復と差異、欲望の交換と代償と・・そのありようが、主人公らとそれを取り巻くすべての人々、また中国の「北」と「南」と「一人っ子」をめぐる現代史の大きな時間の流れとともに雄弁な映像で語られる。見事な作品でした。字幕でシンシンとカタカナで呼ばれるとわからないけど、物語の真ん中を貫く負の中心たる喪われた息子の名前は「星」であることが墓標からわかる。『精神0』で最後の肝心なところで(間抜けにも)なかった火が浄化する時間の重み・・。すべての「親」と「子」と「友」がいまどきのIT技術も動員して勢揃いするラストは、もう号泣ものでしたね。

 

ヤルタ会談 online とか

(昨夜のことですが)わっ!なに?YouTubeで『ヤルタ会談』やってるやん!って慌てて観た。今でも見れるかな? 平田オリザ - 青年団の中でも好きな作品。今回は深田晃司の演出によるオンライン版。そうやった!このWeAreOne映画祭、東京国際も参加していたのだった・・それにしても豊富すぎて、たまたまテレビの前にいる時間帯で目に入ったものを見るだけなんだけど。それでも興味深い作品がいっぱい!

Festival Schedule | We Are One: A Global Film Festival

その時間帯が終われば消えてしまうのかなぁ・・追っつかないよぅ!

あと、これは書いたっけ?ギリシャはテサロニキ映画祭がStay at Homeの特別企画として短編映画を無料配信している。

https://www.filmfestival.gr/en/

YouTubeのチャンネルはこの名前↓です。

thessaloniki international film festival

賈樟柯ジャ・ジャンクーがこのコロナ事態を受けていち早く作った短編がここから配信されてたので、知ってる人も多いかな?

シネマテークフランセーズの特設サイトも見られる作品がどんどん増えたり消えたりしてるし、追っつかないよぅ・・

HENRI : Des films rares de la Cinémathèque française à voir en ligne

見たやつとか、いつかまた書きます。

   *

香港が大変だと書いたばっかりなのに今度はアメリカが全土で大変! トランプみたいなレイシストで暴力的なアタマをいただくと、警察とかが嵩にかかって弱い者狩りに走る。日本でクルド人に起きたことも同じ。このたまたま撮影されてたクルド人以外でも、また他の外国人でも、日本に難民申請求めて来てる人はじめ、どんだけ外国人が日本でひどい扱いを受けていることか・・。

トランプみたいに暴力的で無茶苦茶で馬鹿なツイッターとか流してるとかえってわかりやすいけど・・日本はもっと陰湿。利権でがっぽり儲けることしか考えてない、弱い者たちがどうなろうが知ったことではない・・と。

日本語で喋る『ヤルタ会談』のプレイヤーたち、「るーずべると」に「すたーりん」に「ちゃーちる」がどんだけ軽〜く世界の運命をしゃべり、決めていくかに笑いながら戦慄する。権力者のことばってこういうもん。

ネット配信ライブに、リアル映画館で韓国映画

金曜夜に初めて気づいたのだったが、京都はクラブメトロのダイヤモンドナイトがライブ配信されてた!!

https://www.metro.ne.jp/diamonds-are-forever

たしか6月1日までと言うてたからまだ間に合います。

もっとも、メトロなんてご無沙汰してからだいぶ経つ。ダイヤモンドナイトもめちゃくちゃ久しぶり・・で、そもそも口パクがお約束であるから配信ライブといったところで、ヴァーチャルな要素とライブな要素といろいろ重なってておもしろかった。みなさんお元気で(とくにシモーヌ深雪さま)(←何故か様づけ)良かった良かった!

ちなみにこの出し物のテーマソング’DIAMONDS ARE FOREVER’ は言うまでもなく『007 ダイヤモンドは永遠に』Diamonds Are Forever (1971, Guy Hamilton)の主題歌です。

で、昨夜土曜の夜は、以前にも予告したとおり、やはり京都のRAGから融解建築のネット配信ライブ! なんか、もう、音がめちゃくちゃ良くて、キャメラを数台使った映像もカッコ良くて、ワンマンライブは久しぶりという彼らの楽曲を心ゆくまで堪能できました。ダンサブルな曲、激しい曲、トリッキーな曲から、美しいメロディの曲まで・・本当に深みと広さのある世界を持ったバンドだとつくづく感嘆しました。リモートライブとあって、リアルのライブでは一緒に行きましょと声かけづらい友人知人にも声かけまくったけど、みなさん聴いてくれたかな? 全国のファンが視聴してたみたいだけど、これがきっかけとなってもっとブレイクしてくれればいいな。いまはYouTubeの Live Spot RAG のチャンネルからちょい見せが視聴できるようです。

で、昨日土曜昼間はシネマート心斎橋まで出向き(行きしは地下鉄、帰りし歩き)韓国映画二本見て来ました。

『人間の時間』監督:キム・ギドク 出演:藤井美菜, チャン・グンソク, アン・ソンギ

인간, 공간, 시간 그리고 인간 - 위키백과, 우리 모두의 백과사전

キム・ギドク、ますます嫌いな監督になりつつあるけど(こんなもん「好き」と言うたらいかんと思う)、それでも新作が出ると見ずにはおられない。初っ端からこの船の中には狂った論理が支配しているとわかるのだけど、それがどこまでも暴走していく、そしてそれが神の摂理であり「人間」の運命だと言いたいわけだから・・。でも多分そういう大仰なところよりも、「女と大砲」であったり「死体に種を撒く」みたいな単純な発想から妄想が膨らんでいるんだろうな。多分・・。

藤井美菜、ようやったと思います。みんなのその後のブレイクぶりがすごかった『女子ーズ』(2014, 福田雄一)のメンバーの中ではちょっと地味かなと思てたら、韓国でも活躍していたのね。ちょいと凄すぎたけど・・。

『暗数殺人』監督:キム・テギュン  出演:キム・ユンソク, チュ・ジフン

암수살인 - 위키백과, 우리 모두의 백과사전

実際の事件をヒントにしたものらしいけど、実に巧みに練られた作品でした。情報の見せ方がうまいというか・・犯人が小出しにする真実と嘘の混じった情報、ここにもある論理が支配しているわけだけど、合理的なんだか非合理的なんだかわからない。そして土に整然と埋まった女の骨が、見落とされていた「リング」をきっかけに、まるで欲望が交換されるように指し示すものが転換され、なんだかラカン精神分析学で語ってみたいような構造でした。また映像の語り口も、主要登場人物と脇の重要人物、主要な被害者、ちょっとした(少し笑える)コラテラル・ダメージを被ってしまう小さな被害者、の語り方が巧み。被害者の真実を語っていると思しきシークエンスはいったい誰の視点で語られてるんだ? 力のある監督ですね。

 

 

歌う鳥など

マスクついに50枚999円がついた(何日か前)。手指消毒用のアルコールジェルは、3ヶ月ほど前に2000円ぐらいで買うた銘柄が、何日か前は790円、最近の確認では600円になっていた。(2000円で買うたとき、普段の価格を知らないけどこれはきっといつもの3倍ぐらいの値がついてるんだろうな・・と思たのはほぼ正しかったのだ。でもまー高いを承知で、事務所に人を迎える体裁を整えるために仕方なく買ったのだったが)。

アベノマスクはまだ届かないが10万円の申請用紙は届いた。ご近所みんな届いたみたい。大阪市内でも別の区の住人はマスクは届いたが申請書は届かないというし、大阪府下の別の市でも同様。申請書早速郵送したけど、これが届いてから実際に振り込まれるのに1〜2ヶ月かかるという。どんだけ遅いねん!

とか言うてると、友人のなかでただ一人「10万円とっくに受け取った」と言う人が現れた。曰く、受付初日に、サーバーがダウンする前に、ちょいちょいちょいとスマホでウェブ申請し終えたところ、それから1週間ぐらいで振り込まれたという。なるほど〜IT強者の強みかぁ・・に加えて、その人の住んでるところが田舎の小都市だったということもあるらしい。

それにしても安倍が「日本モデル」とか言うて、日本の被害が比較的少なくて済んでるのを自分の政策のおかげであるかのように喧伝してるのはなんとも腹立たしい。あんたはむしろ害をなしてるやろ。日本含む東アジアがマシで済んでるのは、山中先生言うところの謎のファクターXのおかげで、それは日本人が真面目にみんな頑張ったせいでもないし。で、この「ファクターX」という言葉を吉村が早速自分の言葉であるかのように喧伝してるのも腹立たしい。あんた、むしろ、山中先生に批判されてるやん。「結果を見てから基準を決めるのは、府の対策が科学から政治に移ったことを意味する」って。ほんまにこれだから政治家という人種は・・。

愛知県知事にホントのこと言われたからと言って市長、知事そろって逆ギレするのもみっともない。で、そういうときに身贔屓して肩入れする府民・市民が大勢いるのもまた忌々しいのよ。これだから・・(と、あとは言いたくないけど)。

それより心配なのが香港情勢。安倍もスーパーシティだ種苗法だとロクでもない法案通そうとしているが、さすがにそれより悪辣なのが習近平ね。いや中国という国家か。雁字搦めにされてしまうと香港はもう香港ではなくなってしまう。それこそ独立戦争しか手はないのか。活動家らや市民には頑張ってほしいけど・・。コロナ禍が収束して海外旅行行くとしたらどこ行きたい?の話してて、もちろんおじゃんになったイタリア・シチリアにも行きたいけど、その前にまず行くとしたら香港やなと心に決めていた矢先でした。

とか、つらつら書いていて自分の思考が単純な善悪二元論になってしまってるのにちょと笑ってしまう。いや世界全体が極端に走りつつあるのだけどね。そういうのがまたこの世界的危機の陥穽(おとしあな)か。なんか、わたくし本人の精神状態はまだまだダメダメよ。感情に流れすぎるところがあります。(いや、いつものことだって?)

先週から仕事先の仕事が復活したとはいえ、例年と比べると仕事量半分よりちょっと上くらい。週休4日ぐらいです。いや、怠け者のわたしとしては、このペースで食っていければもう万々歳なんですけどね。そういうわけにもいかず・・。持続化給付金の申請はまだですが(収入が一番落ち込むのが5月末集計か6月末集計になるので)それでどんだけ給付されるかわからない。ホントは、たっぷりもらって、この1年ぐらいゆっくりこれから先のことを考えたいところだけどね。

とかいうてると、また映画のことが書けないな。今日は(日付は昨日)『レ・ミゼラブル』『ナイチンゲール』『もみの家』『ストレンジ・シスターズ』とリーブル ・テアトル系4本連続でした。『レ・ミゼラブル』は映画館閉まる以前に見たので二度目。荒ぶる童児神が荒ぶる神になる過程をもう一度確かめたかった。『ナイチンゲール』もまた、力が暴力として支配し蹂躙し復讐する過酷な世界にあって、ナイチンゲールとブラックバードの叫ぶ声の響く美しさがなんとも身を引き裂くような作品でした。

散歩で川沿いを歩くといろんな鳥たちの声、それと虫や蛙?の声に耳奪われる。雲雀、鴬、雀、椋鳥、鵯、あともちろん烏とか鳩とか、程度はさすがに聴き分けられるようになった。ヨーロッパを旅行してるとブラックバードの声(と姿)はぜったい覚えるし。そのへんの生きもの関係弱いんですけどね。

 

 

世界の光

ものすごく久しぶりに電車に乗った。仕事先での仕事は今週あたまから始まっていたのだが、歩ける距離は歩いていく。今日の仕事先は往復とも歩きはちとしんどいかなと思ったので、行きしを電車、帰りしは歩きということにしたのだ。

電車の中の人びとは見事に全員マスク。近所の商店街とか公園散歩とかだとわたし自身も含めてマスクなしはよく目にするのだが、さすがに通勤客とかは絶対マスクなのね。わたしも仕事先に向かうとき、また仕事先ではマスクです。息苦しくて鬱陶しくてしょーがないけど。

そして帰りしなに、今日から開いた映画館に早速立ち寄る。すっごい厳戒態勢で、観客もあまり入ってなかったけど、暗闇のなかに身を沈め、真ん前のスクリーンの光を浴びて映画と一対一で向き合うと、ほんとうに心の底からほっとする。映画館で映画を観るということが、これほどまでに自分の一部になっていたことに、あらためて驚愕する。

映画自体はもともと見るつもりなかったモロッコのホラー映画で、まぁ、めずらしいかな・・程度の感想しか抱かなかったけど、冒頭アヴァンタイトルのいくつかのショットに映し出されるこどもたちの美しい顔たち、風景たち・・その光に触れるだけで、もう、涙ぐみそうになりました。

いつぶりなんだ?と、PiTaPaの利用明細確かめてみると、4月15日が最後になっておる。そう、電車も映画館もその日が最後。今だから告白するが、緊急事態宣言後も、まだ開いてる出町座めざして、禁断の大阪〜京都越境やってたんです。だって『リーマン・トリロジー』どうしても見たかったんですもーん!イザベル・ユペールの『マダム・ハイド』もどうしても見たかったんですもーん。それに『東京干潟』『蟹の惑星』も大阪ではやってなかったし・・。いや、マスクして行きましたけどね。お許しを・・。

映画は世界の光・・。いまたまたま目の前のモニターで見ているのは、Filmmuseums München ミュンヘン映画博物館がvimeoでやってるKlaus Wyborny クラウス・ウィボニーのレトロスペクティヴから"Das Licht der Welt" (2015) つまり『世界の光』という作品です。このvimeoでの上映、4〜5日すると消えてしまうので追っかけるの大変なのだが、無知にしてこの映画作家を知らなかったわたしには、すっごく刺激的な特集でした。

Retrospektive Klaus Wyborny

"Das Licht der Welt" この2015年の作品は、彼のこれまでの作品の上映会そのものを、スクリーンに映し出された映像・音楽ごと、そしてそこに目を凝らす観客ごと、そのものを作品にしたもの。もちろん(しばらくいろんな作品見続けてるとわかる、この作家のトレードマークのような)めちゃ厳格に計算・構築された音・映像そのものと、その場に溢れ出た光そのもの・音そのものが、観客の影や光と一体となって、また新たな光と音の作品になっている仕掛け。この作家にとって映画とは何か物語を語るものでなく(別の作品では撮りためたおなじ映像つかって平然といくつかの物語を語り直したりする)、現実の表象でも代用品でもなく、そこにある作品そのものの光と音がすべてなわけだ・・。

そこにある光と音に身を委ねる・・こうしてvimeoとかYouTubeとかで、自宅のテレビで見るのも慣れてしまったけど・・やっぱり映画館がいいよね。

  *

そうそう。あとひとつ、忘れてはいけないのだが

わたしのご贔屓バンドである融解建築さんが、有料配信ライブやります。場所は京都のRAG。ほかにもいろいろ配信ライブを頑張ってやってはるみたいですね。

ライブ配信は5/30の19:00からだけどオンタイムで見なくても、1週間ぐらいは見ることができるとか。チケット購入はこちらから↓

www.ragnet.co.jp/livespot/22364