拳ではありません。
辛夷でもありません。
演歌歌手が「まわす」やつね。(一部の人々が大嫌いな)
*
ああ、ようやく平日になった!
平日のわたしの朝はテレビで国際ニュース(日本語同時通訳はつけないで原語で)流しっぱなしから始まる。ベッドのなかでテレビつけて、うとうと聞きながら、目をやりながら、そのうち日本語のニュースが流れ始めると起きる・・みたいな。
さまざまな言語が流れ、その原語のニュース流しっぱなしだから、さっぱりわからないのもあれば一部わかるのもある。わかるのも完璧に聴き取るには程遠く、わかる部分だけしかわかってない。
そんななかで今朝ふと初めて気づいたことがある。
BBCのたぶん特派員の報告だろうけど非常にお上品なクイーンズイングリッシュ(BBCイングリッシュではない)のなかに、あ、この人こぶしまわしてはると。
その微妙なこぶしにすっごく味があって、その英語を魅力的にしているのである。
そうなのか!イギリス英語にもこぶしがあるのか!
*
イタリア語勉強し始めてからすぐ気づいたことがある。
イタリア語独特のこぶしがあって、まわす人とまわさない人がいる。ネイティブのイタリア人でもあんまりまわさない人もいるし、ネイティブでない日本人でもまわす人いるので、個人差が大きいのかも。でも上手にこぶしがまわってるイタリア語って、すごく魅力的!なのだけど自分ではとてもできない。
これってほかの言語でもあるのかな?
今朝、proprio今朝!とってもお上品なイギリス英語にあると気づいたけど、アメリカでは黒人英語がまさしく「こぶしをまわす」英語ですよね。
*
そこからさらに話が飛びます。ポルトガルの本場でファドを聴いてきたという年下の友人とLINEでファド=演歌論をおしゃべりしてて気づいたこと。
ファドはまるきり演歌だから大嫌い!と言う別の友人がいます。
おなじく、わたし、演歌・歌謡曲の類が背筋がゾッとするほど嫌いだった過去があります。
美空ひばり(母が大好きな・・)を聞くと要所要所でほんまに背筋がぞわ〜っし身体中の毛が逆立つ、それほど身体的・生理的に嫌だったのです。
それが、あるときふと(ちょっとしたことがきっかけで)、その要所要所の「味」がわかるようになり、美空ひばりの偉大さがわかるようになりました。
その「味」がわかんないと、それこそファドの良さもわかんないのではないのかなと。
もうすこし言うと
演歌の味って、歌詞の内容を別にすれば、たとえば「こぶし」まわしとか、大げさなビブラート(あるいは音の「揺らぎ」)とか、掻き口説くような泣くような咽ぶような語りのような唄い・・でしょうか。
それって、たとえば韓国のパンソリもそうですよね?
日本の演歌もルーツは韓国にあるという話を聞いたこともありますが・・。
少なくともわたしは、昔は、そのどの要素をとっても、身体的・生理的に受け付けませんでした。
いまは
まるで逆転して、パンソリ大好き、ファド大好き、です。
もちろん、こぶしまわりまわりの黒人音楽やヨーロッパ中近東アフリカなどなどの民族音楽なんかも好きです。
ただ、朝一番起きてすぐブルースやジャズ、ましてやファドや演歌を聴こうという気にはぜったいなりません。
その種の音楽を聴くにはアタマもカラダも「酩酊」した状態がいっちゃんふさわしいかな。
酩酊。夜。
・・つぎのブログのテーマに続きます。