稍ゝおも

ややおもしろく、ややおもたく、jajaのJa,Ja,おもうこと

話、繋がる

今夜(日付は昨日)は十五夜の満月! 例によって月見酒を楽しんでます。このまま梅雨が明けてくれるといいなぁ・・。
あと3日しか会期のない展覧会ですが・・。

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四國五郎展

www.museum.osaka-u.ac.jp大阪大学豊中キャンパスにある大阪大学総合学術博物館で7月20日(土)までやってます。なんと無料! 待兼山のアイドル、マチカネワニくんも待ってるよ!
「四國五郎展」。絵本『おこりじぞう』の原画など絵画作品やスケッチなどはもちろん、シベリア抑留時の記録を詳細に書いた『わが青春の記録』、広島で峠三吉らとやってた「辻詩」など、貴重で感動的な資料がいっぱいです。
なんで、これをいまごろ書くかというと(見たそのときに書きそびれたというのもあるが)、ゆくりなくも昨日(日付は一昨日)見た映画から思い出したからでありました。
先週に引き続きフィリップ・ガレルPhilippe GARRELの昔の作品。
『救いの接吻』Les Baisers de secours (1989)

Les Baisers de secours — Wikipédia

モーリスMaurice GARREL、フィリップ、ルイLouis GARRELの3世代揃い踏み。ルイのお母さんで当時の妻君のブリジット・シィBrigitte SYも出てます。

Barney WILENのサックス一本のジャズがめちゃカッコよくて、フィリップ特有のモノクロ画面、白黒映画というよりコントラストの低いグレー映画の美しさとめちゃ合ってます。ごくごく自然にやってるようでありながらやはり演出されてる当時4〜5歳のルイ(いまとちがう髪の色とか今のままの目元とかめちゃ可愛い)含め、夫婦のあいだでようもまあこんなにねっとりきっついやりとりやってるなぁと呆れるぐらい、もちろん事実がベースにあるんだろうけどきっちり映画として再構成されていたのが見事でした。
わたしがフィリップ・ガレルの作品を初めて知ったのは『自由、夜』Liberté, la nuit(1983)という作品で、例のNICOと一緒にやってた『内なる傷痕』La Cicatrice intérieure (1972)みたいなぶっ飛んだ傑作含む初期の作品は後追いで知りました。
『自由、夜』のときには、既にフィリップ特有のローコントラストのグレーの濃淡のようなルックスは獲得していた。
それに主演していたのが、エマニュエル・リヴァEmmanuelle RIVA(当時55歳ぐらい? でも今や90歳過ぎの御歳で今なお美しき老婆として映画出演していらっしゃいます。)
そのエマニュエル・リヴァが、キャリアの最初期にあたる21歳頃に出演したのが、
ヒロシマ・モナムール』Hiroshima mon amour(1959)
監督 : アラン・レネ Alain RESNAIS
原作 : マルグリット・デュラス Marguerite DURAS
主演 : 岡田英次, エマニュエル・リヴァ
(封切り当時の邦題は『二十四時間の情事』。けど原題そのものを日本語読みしたタイトルでリバイバル上映されたと思う)。
で、その後世間を驚かせたのが、そのエマニュエル・リヴァが、その映画の撮影でまだ復興途上の広島を訪れたとき、玄人はだしの腕でもって、広島の街々、特にバラックのような貧しい家々のあるあたりや、そこに暮らす人々、子どもたちの姿を美しいモノクロ写真に収めていたということです。
(『HIROSHIMA 1958』というタイトルで書籍化されてます。)
そこでようやく話が繋がるのですが、「四國五郎展」に展示されてた絵の中に、1962年当時の広島の街を描いた作品があり、そこに描かれている家々がなんだか斜めになってて淋しげに肩寄せ合うように連なっていて、ああ、これって、エマニュエル・リヴァが撮った写真のような家々なんだろうなぁ・・と思ったことを、不意に思い出したのでありました。