稍ゝおも

ややおもしろく、ややおもたく、jajaのJa,Ja,おもうこと

怒涛の週末?(その3)

今夜の月は Cat Stevens の 'Moonshadow' を聴きながら帰ってきたところ、どうも空の雲行きが怪しい。ベランダに出していた籐椅子とテーブルを部屋のなかに引き入れるや、ざざーっと雨が降ってくる音を(部屋のなかで)聴く。台風、近づいてきてますねぇ・・この土日どうなることか・・。

で、その3が残ってた先週の怒涛の週末のこと書きます。

日曜日、舞台2本に映画2本のハシゴ。変? いや、普通ですけど・・。でもま、今週来週とちとバタバタするので、映画とか観れる時に観てしまおうというのはある。映画のチケットを先に取ってあったため、舞台のときにひょっこり遭遇したお友達とゆっくりおしゃべりする時間が取れなかったのは残念でした。Kちゃん、次は是非一緒に晩ご飯しようね!
舞台は、京都エクスペリメントの公式プログラム、最初の2本でした。
チョイ・カファイ『存在の耐えられない暗黒』Choy Ka Fai "UnBearable Darkness"

kyoto-ex.jp作家の敬愛する土方巽の霊をあらゆる手を用いて請来し、共に踊る試み。最後(ネタバレ御免!)あらゆる年代の(92歳の現在、つまり亡くなった後も含めて)土方のアバターがずらり並んで初音ミクの唄う般若心経に合わせて踊るというのが可笑しすぎた。しかしチョイの踊りは美しすぎて・・逆に土方との差異が際立ったのが差異と反復でおもしろいところだったのか? 土方の舞踏は高度に分節的でありながら、分節するそばから自ら脱臼していくようなところが魅力なのだが、その脱臼部分がむずかしく、まただからこそそのズレるところの面白さが味わえた感がある。

チェルフィッチュ×金氏徹平『消しゴム山』 chelfitsch & Teppei Kaneuji "Eraser Mountain"

kyoto-ex.jp「もの」が雑多に散らばって置かれている舞台上を「もの」に向けて/関わって、それぞれの所作とともに台詞を発声する役者たちが、ものをよけながら、ものの隙間を通り抜けながら、ものに手をかけ、運び、移動しながら、組み立てながら、立ててやったり置いてやったりしながら、風景を刻一刻変化させながら、演じる3部仕立ての演劇。普通の演劇では裏方さんの作業として演劇の場には入らないであろうような、大道具さん小道具さんの作業を役者たち自身でやりながら、モノローグしているようで誰かに語りかけているようで・・楽しい舞台でした。

『レディ・マエストロ』De dirigent (2018) The Conductor (2018) WikiのページがないのでIMDbのURL

www.imdb.com『おいしい家族』

oishii-movie.jpあれ、いずれも女性監督だ。特に監督の性別に注意を払わなくなったけど(『アンダー・ユア・ベッド』なども観てみると女性監督だったなと・・)、そういえば テレビドラマの(Roman Coppolaとその仲間たちの) "Mozart in the Jungle" は日本を舞台にした第4シーズン以降は撮られているんだろうか?(大好きなんだけど)。オーボエ奏者のヒロインが指揮者を目指すところで、指揮者という地位がいかに女性にとって狭き門であるかが言及されてたと思う。しかしこの作品(『レディ・マエストロ』)は、むしろオランダ映画ということもあってか、いかにもアメリカ風の女性の立身出世物語みたいな綺麗事でなく、むしろ型破りで才覚(良い意味でも悪い意味でも)にも運にも恵まれた一人の女性の来し方を爽やかに描いていて好感持てました。
『おいしい家族』も、しばらくぶりに帰郷してみると「お父さん」が「お母さん」になっていてびっくり・・みたいな話より、家族って(性別役割とか家族役割とかをだれがどうやって引き受けたところで)どういうかたちでもありだよね、みたいなことをポップな色彩感覚でむしろ軽々と楽しく描いていてよかったね。松本穂香の、なんだかしぶとい勁さ(つよさ)を感じさせる可愛らしさもよかったが、最初の登場シーンでこの映画のトーンを決めてしまうモトーラ世理奈の、ちょっとこの世離れして飄々とかつすこし重たげな美少女ぶりが気に入りました。
それにしても・・このあとどこかの週日で『パリに見出されたピアニスト』Au bout des doigts (2018) Dir: Ludovic Bernard (←まあまあの出来)も見て、期せずして『蜜蜂〜』『レディ〜』『パリに〜』と3本、クラシック音楽をテーマにした映画を見たことになるのですが、いずれの映画にも共通していたモチーフが、「主人公が晴れの舞台の直前に出演する気を喪くしドタキャンしようとする。周囲を(誰よりも観客を)やきもきさせた挙句、しかしなんらかのきっかけでやっぱり出演を決意し直し、会場まで必死で駆ける。会場の方ではこちらも待ち受ける人々がハラハラしながら主人公の到着を待っていて、もうこれ以上待てないというギリギリのところで主人公が到着する」。これってなんですか?出演者のトラウマなんですか?それとも会場側の?ドタキャンってそれほど怖いんですね・・。