稍ゝおも

ややおもしろく、ややおもたく、jajaのJa,Ja,おもうこと

死と滅び2題(or『〜は〜ている』2題)

『象は静かに座っている』胡波

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www.bitters.co.jp長い映画だけどずっと緊張が途切れることはない。人物のごくごく近くでその動きを追う長回しキャメラ。灰色がかった暗いトーン。手前の顔だけにピントが合っていて奥の人物や背景はぼーっとしている。主要人物が動くと周りで勝手に死ぬ人がいて、滅びるものがあって、人が何かに突き動かされるように動けば動くほどますます昏い迷い道に入りこんでいくように世界は靄のような死と滅びに充ちていて、そのなかで蠢き(うごめき)足掻く(あがく)ことしか生きようがない、その焦燥と絶望とがひしひし胸に迫る。彼らの唯一の心のよりどころが満州里(しかしなぜそこに?)のサーカスでいつも静かに坐っているという象なのだが最後にその鳴き声が(世界の終わりを告げるラッパのように)響くとき、かえって、この世界にはどこへ行ってもこの暗い死と滅びのトポスから抜け道はないのではないかと思わせる。監督はこの圧倒的な処女作を残し若くして自死してしまったそうだけれど、その明るく微笑むポートレートがラストに映し出され、なんとなくこれは「抹殺」されたのではないかと感じた。しかし何に?国家に?世界に?あるいは何らかのトラップだかアポリアだかに?・・香港の行方があいかわらず気になりますが、いまメインランドの若者たちはどうしているのだろう?
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『わたしは光をにぎっている』中川龍太郎

phantom-film.com『象は〜』と対照的にこちらのキャメラは少し引いたところから人物を収め、だから人々は背景(自然の景色や建物や部屋や他の人物や)のなかに比較的小さなサイズでおさまっている。こちらも人物の周りで大切な世界が少しずつ消え、滅びていくさまを描くのだが、こちらはヒロインの松本穂花の大きな目と背丈とぽっちゃりした頬で、(知らぬまにできあがっていた)世界の(おかしな/変な)なりたちを、そしてそれが滅びていく様を、不思議そうに眺めるその表情と、いつもしょぼしょぼ歩くそのゆっくりした足取りとで、その愛惜/哀惜の情を美しい光と色合いの映像でこの映画にゆっくりと留めていくのだ・・。葛飾区立石の商店街・・いくつかの劇画や映画でおなじみのいわば「下町」の「最果て」が・・。
山村暮鳥の詩のなかの、てのひらのなかににぎった光、しかしあけてみるともう消えてしまっているかもしれないことを恐れ、それでもここにまだひとつの光があることを信じたい・・そんな物語をたしかに語る才能の燦きがみえる映画でした。