稍ゝおも

ややおもしろく、ややおもたく、jajaのJa,Ja,おもうこと

光のみちすじ

昨夜食い過ぎたせいかお腹の調子がもうひとつで、こういう状態でジムのプログラムに行く気しないので、早々に止しと決めたが、だとすれば今日は出講先との往復のみなので圧倒的に運動量不足になる。こういうときは歩数かせぎのために地下鉄2駅から3駅分ぐらい歩く。今夜はあたかも十二夜(十三夜?)のお月さんが綺麗で、しかも大阪市内「光のルネサンス」とやらでイリュミネーションだらけ。地下鉄を淀屋橋で降りてそのルネサンスとやらを通り抜け(しかし毎年思うのだがあの音楽のセンスはなんとかしてほし。一般受けを狙うからかもしれないけどそれにしてももっとマシなの出来そうなものだが・・)、難波橋(なにわ橋)をくぐって天神橋へ。そこから自宅(いちおー秘しておく)まで歩く。万歩計かろうじて10,000歩以上をクリア。

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昨夜は思わず、なーんにも考えんでも書ける映画のことを先に書いちまったが、ホントは昨日4本ハシゴしたなかで心に残ったのは以下の二つ。ちなみにあとのひとつの『ゴーストマスター』も悪くはなかったんですよ。たしかに映画愛はジンジン伝わってきたもの。でも、だからこそ、なんで成海璃子やねん! いや、成海璃子が嫌いなわけではなくめちゃ好きな女優さんですよ。でも、ここは、成海璃子ではなく、武田梨奈しかありえないでしょーが!!というのが悔しくて仕方なくて・・いやこの際、水野美紀でもよかったと思うのですが・・。
て、話が逸れた。
『アダムズ・アップル』Adam's Apples Dir: Anders Thomas Jensen

en.wikipedia.orgこんな作品撮れるなんて、この監督あたまおかしいんちゃうん?(褒めてます)。Adam's appleといえば日本語で言う「喉仏(のどぼとけ)」のことだけど、神が創った最初の人間(=男)たるアダムが飲み込みかけて喉元で止まった林檎・・現実を目の前にしても現実を見ようとせず独り善がりな幻想(想像界?いや象徴界)を生きる男の倒錯が、現実(界)からどれだけの仕打ちを受けてもしぶとく男を生き延びさせ、別の倒錯男をまぐれに運良く(あるいは倒錯的に)救う話?
日本語では仏さん一人をそこに留めているトポスに、原罪の標(しるし)(大文字のなんとやら)がそこに在って、それは具体的に木に成る(なる)たくさんの林檎(小文字のなんとやら)でもあり、まるでバウムテストみたいにどかんと確かに鬱陶しく其処(そこ)に在るのだが、それは(超越者たる)雷に打たれてあっけなく焼けて滅びてしまうなりゆきであっても、そのように現実(界)が(あるいは大文字の超越者たる神が?悪魔が?天が?)どんだけ邪魔しようとしても、かろうじて林檎一個だけを留め置く盗人(ぬすっと)の手(手紙を盗んだ手のような)があって(また援護射撃とて銃を撃ちまくる赤塚不二夫のキャラクターさながらのテロリストがいて)、約束の林檎ケーキはやっぱり焼かれるのである・・。歪んだ鼻つけた倒錯男ことマッツ・ミケルセン Mads Mikkelsen は、デンマーク語のほうが母語にあたるのか? いずれにせよ北欧映画で相当鍛えられてきておるな。北欧恐るべし。
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『台湾、街かどの人形劇』紅盒子 Father 楊力州

machikado2019.com日本でも昔の人は一人一人が持ってた持仏みたいな私物の神様の像。それを収めている紅い小箱『紅盒子』が中国語の原題で "Father" というのが英語題。本作の主要人物たる陳錫煌の父である李天禄の藝はもちろん侯孝賢の映画のなかで目撃している。その父を持った長男でたまたま母の姓を受け継いだせいで弟がまず父の後継者となりその弟に先立たれてしまい・・といった複雑な家&後継者事情。父への複雑な感情/関係がいま弟子筋への関係にも重しのように重たい圧力を加え・・と、こちらはすぐれてフロイト的な精神分析物語であるのだが、なぜかそんなひとびとの熟練の手によって演じられる布袋戯の舞台だけはそんな葛藤はどこへやら、なんと軽々と、また繊細に動くことよ!

Adams æbler - Wikipedia, den frie encyklopædi