稍ゝおも

ややおもしろく、ややおもたく、jajaのJa,Ja,おもうこと

フランス映画の現在、2題

まずは、「大阪アジアン映画祭」、「映画批評月間 ~フランス映画の現在をめぐって~」この2つのイベントがちゃんと開催されることになって、ホントに嬉しいです。良かった良かった! 決行にあたっては、わたしたち観客の目に見えないところで、主催者、関係者、いろんな人たちの大変な努力や闘いがあったに違いないと推測する。本当にありがとうございます。

第15回大阪アジアン映画祭|OAFF2020

第2回 映画批評月間 ~フランス映画の現在をめぐって~ in 関西

いまのところ映画館でクラスター感染が起こったというニュースは聞かないが、これが万が一にも起こらないように、わたしたち観客らも気をつけないとね。

アジアン映画祭への参加は(個人的な事情で)もうすこしあとになるのだけど、今日は日仏学院主催の映画批評月間の企画でフランス映画2本見てきました。しかも今回の企画で、作品選定に当たったオリヴィエ・ペール Olivier Pèreさんのすっごく丁寧な解説も聞くことができました!(ようこの時期、来日してくださいました!)

『ソロ』(1970年)ジャン=ピエール・モッキー 'Solo' Jean-Pierre Mocky

Solo (film, 1969) — Wikipédia

ヌーヴェルヴァーグの監督らとおんなじ時期に活躍していた人らしいけど、まったく知らなかった。しかしフランスではテレビなどでよく知られたコメディアンで(単に笑わせるコメディアンというだけでなく俳優という意味で)、映画監督としてもいろんなジャンルのものを60本以上作っているとのこと。

見てみると、なるほどこれはヌーヴェルヴァーグと同じ文脈では日本に紹介しづらかっただろうなと思う。これはセリ・ノワール(犯罪小説)とかアメリカのB級犯罪映画とかの流れを汲む完璧な娯楽作。初っ端から目を娯しませる映像いっぱい、そして巧みな展開あり細かいギャグが随所にあって、ハラハラドキドキして笑えて、しかしなぜかジョルジュ・ムスタキGeorges Moustakiによる音楽が暗鬱かつセンチメンタルで合ってるのだか合ってないのだかわからない、人物像とか心理とかの深い掘り下げ皆無。あるいは1968年の5月革命が反映されてるようでそんなもん話を面白くするだけに利用してるだけで実は政治的主張とか思想とか哲学とか皆無・・という、そして特筆すべきは主人公を演じた監督のJean-Pierre Mocky自身が(実はアラン・ドロンとかジャン=ルイ・トランティニアンとかジャン=ポール・ベルモンドとか有名俳優にオファーしたけど断られたから仕方なく自分で演じたんだそうですが)ドロンにも匹敵するジェラール・フィリップの流れを汲む?美男子ぶりで、なるほど、この人のキャリアの最初はルキノ・ヴィスコンティ Luchino Visconti の『夏の嵐』Senso (1954) で助監督を務めたことらしいけど、納得できるなぁ・・と。いろんな意味で楽しい作品でした。これが同時代、あるいはヌーヴェルヴァーグの監督をわたしが知った最初期の頃に目にしていたら、きっと「こんな軽薄な映画!」とケチョンケチョンに貶してたに違いない。こうやって年月を隔てて見ると、この作品の良さに気付きこうやって楽しむことができる・・そういう意味でも面白い作品でした。

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で、思わぬヴィスコンティつながりになってしまったのが、

リベルテ』アルベール・セラ (2019)  'Liberté '  Albert Serra

Liberté (film, 2019) — Wikipédia

なんでヴィスコンティつながりかというと、かのヘルムート・バーガー様 Helmut Berger (なんで様つき?)が出ておられたからで、しかもかなり凄いお役で。ただ、これはこの作品が舞台だったときからのつながりで、舞台版ではイングリッド・カーフェン様 Ingrid Caven(こちらはついで)も出てらしたらしいのだが、映画版ではバランスが悪くなるとかで実現しなかったのだとか。

それはともかく、この作品が上映されたカンヌ映画祭の「ある視点」部門ではショック受けた観客多数、途中で席蹴って立つ人多数、非難轟々、賛否両論、大変な騒ぎになったそうで、それを日本で初めて目にすることになった今夜の観客のわたしたちも、まずは「キツかった〜」とグッタリするしかなかったのですが、ルイ16世統治末期の追放リベルタン貴族らの暗い森の一夜の闇の中で、どういう場面が繰り広げられたかは、これは、もう、もし見る機会のある方はぜひ目撃していただきたいと言うに尽きます。(その前にマルキ・ド・サドの作品はちゃんと読んでおきましょう。通俗的な「サディズム」の解釈じゃダメよ。ちゃんと原典・・日本語訳でいいので・・を読もうね)。これはぜったいまともなかたちでは一般の映画館にはかからないだろうしなぁ・・。

で、その映像の美しさと直截さとその中にこめられた過激な思想性にも衝撃受けたのですが、あとでオリヴィエ・ペールさんが解説してくれた、この監督独自の方法論にもびっくりした。なんとこの監督、現場で俳優らともスタッフとも一切コミュニケーション取らないんだそうです。自分でキャメラを覗き込むこともしない。しかし即興ではない、と。で、セリフが書かれたような通常のシナリオはなく、文学的なシナリオがあるのみ。で、それを元に俳優やスタッフに任せっきりで(監督だからといって撮影現場を「支配」したり「誘惑」したりしない)デジタル映像を山ほど撮るんだそうです。その中から、編集だけは自分でやって、膨大な素材をあらためて再発見し、それを繋ぎ合わせて、一本の詩的な作品を創りあげていく・・と。旧来の意味での映画監督というより、そういう独自の方法論を持った実験的な映像作家という方がふさわしいのかもしれません。前作の『ルイ14世の死』Roi Soleil (2018) では、変な作品やなぁ・・ぐらいでしたが、もっとちゃんと見たくなりました。