稍ゝおも

ややおもしろく、ややおもたく、jajaのJa,Ja,おもうこと

東京フィルメックス 京都出張篇など

韓国のCOVID-19対策が注目されているらしい。封鎖や行動制限などを最小限にとどめ、パニック買いもそれほど起こらず、検査をたくさんやって医療崩壊起こすことなく、感染を抑えこむことに成功している。ただ、既に医療崩壊を起こしてしまった国でこのやり方はもう遅いとも言われる。でも、きっと学ぶこと多いよね。
日本はどうなるのか? なんとか医療崩壊なんてことにならないでほしいけど・・。感染して万が一重症になってしまったとして、人工呼吸器が当たらなかったら死ぬもんね。(これまで意図的に抑えられてきた?検査数も増えるにつれ)まだまだ感染者数増えそうな勢いではあるが、なんとかみんな生き延びてほしい・・(自分も含めて)。そして、どうか強硬な外出禁止とかいう事態にはならないでほしい・・。
パニック買いについて素人考えで考えてたこと。きっと数学理論とか社会学理論とかでもっとスマートに記述できていると思うので、あくまで素人考えですが・・。パニック買いを引き起こす最初の購買者はむしろ「賢い人たち」ではなかろうかと。それぞれの消費者、例えば1週間に1度買うものとか、1ヶ月に1度買うものとかがあったとする。ところが、賢い人たち(あるいは目敏い人たち)が、状況を見ていて「どうもパニック買いが起こりそうだ」と気付く。で、「パニック買いが起こる前に自分ちの分を確保しておこう」と考える。で、1週間に1度だったり1ヶ月に1度だったりの買い物を前倒しして、decentな人たちだから一度に10個みたいな買い占めはやらないにしても、普段よりは少し多めに確保しておこうかと考える。その行動自体はたいそう合理的なんだけど、もともとゆっくりペースで売れることを想定しているお店の売り場は、ある1日のうちに1週間分だったり1ヶ月分だったりの客が前倒しで訪れたらどうなる? たちまち品薄になり、そのうち棚がカラッポになることは容易に予測できる。で、初動に出遅れた人たちがそのカラッポの棚を見て、あるいはテレビのニュースなどで知って、わーっとパニックになり、それ以降本当の意味でのパニック買いが起こる。長い列ができて、一度に10個とか買い占める奴らが現れ、ますます売り場は連日カラッポという状態になる・・。こういう事態を防ぐ処方箋はただ一つ。みんな、全員、自分の購入ペースを守ること! 1週間に1回、1ヶ月に1回、買ってたものは、その日が来るまで待つ。多めにも買わず普段の買い方を守るのである。ただ、それって、パニック買いがいったん起きてしまうと、単に自分が困るだけなのよね。そういう不便を託つのはそれこそ不合理だし不条理なので、やっぱり賢い人はパニックが起こる直前の自分用最低限を確保、という賢いやり方を取るわけだけど・・。でもね。わたしはやっぱり、他者の迷惑を顧みず自分だけ良ければいいという構えは、死ぬほど嫌なの。自分の分だけはすかさず確保しておいて、そのことが品薄の引き金になってることを顧みもせず、そのあとでパニックになってる人たちを「愚かな群衆」とか嗤ってる賢い人たちも嫌い。で、わたしは、あえて不便を託つ側にまわるよ。天明の大飢饉でもあるまいし、またシリアのように深刻な内戦下にあるわけでもないし、パニック買いでトイレットペーパーが消えても、お米が消えても、何でだって生きて行けるじゃない。深刻な危機にあるイタリアとかフランスとかでも、スーパーの棚はカラッポなのに、なぜか屋外のマーケットには新鮮な野菜やお肉やチーズが並ぶらしい。オープンスペースだから感染の危険も減るし、物流は生きているのね。・・ま、んなもん無駄なヒロイズムだとか言われたら一言もないし、んなこと言うてられるのも呑気な一人暮らしだからであって、家族がいるとか、特に小さな赤ん坊がいるとか高齢者や病人がいるとかだったら、そうもいかないだろうけど・・。
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映画のことも書きとめておこう。
先にエントリーした畢贛ビー・ガン監督も東京フィルメックスで紹介されたそうなのだけど、その京都出張版で今回見たやつのメモ。
『昨夜、あなたが微笑んでいた』 Last Night I Saw You Smiling
監督:ニアン・カヴィッチ(NEANG Kavich)
カンボジア、フランス / 2019 / 77分
確かに人々の生活があったところが、消えていってしまうまでのドキュメンタリー。
もちろん忽然と無になってしまうわけではなく、人々の生活の痕跡、記憶、いろんなものがそこに残されていくわけだ。場所と、そこに生きる人々とその暮らしに向ける監督の愛惜のまなざしが優しい・・。
『アイカ』Ayka
監督:セルゲイ・ドヴォルツェヴォイ (Sergei DVORTSEVOY)
ロシア、ドイツ、ポーランドカザフスタン、中国 / 2018 / 100分
実はこれよりずっと前に『オルジャスの白い馬』Horse Thieves(2019)Yerlan Nurmukhambetov, Lisa Takeba を見ていたのだけど、そのときのお母さん役 サマル・エスリャーモバ Samal Yeslyamova が、この映画のヒロインだったことに気づかなかった。それだけ本作の彼女は強烈で、童顔の大きな瞳が、どんな局面にあっても大きく見瞠かれ、自分の運命をただ受け身で受け入れることを強いられながら、だからこそそこに拮抗する強度をもってそこに大きく開かれてある。もう、それとね。子宮から血が流れ続けることの、乳房から乳が流れ続けることの、痛みが、もう具体的に痛くて、見ているこちらまで、ただただ痛くて辛い。にわとりを毟り解体する仕事の即物性、ヒロインが関わる人々との空間の狭さ、関係の息苦しさも・・そんな局面に置かれてしまうキルギスタン移民という立場の社会的云々はともかく(もちろんそれが一番大事なんだろうけど)、そこに生きるしかない、そしてどうあってもその運命に抵抗しやり過ごし生き抜くしかない、一人の女性の姿を、ずーーーっと間近に捉えて追っかけるキャメラが見事でした。
『川沿いのホテル』강변호텔 Hotel by the River/2018/韓国/96分/監督:ホン・サンス홍상수

강변호텔 - 위키백과, 우리 모두의 백과사전

『草の葉』풀잎들 Grass 2018年製作/66分/韓国/監督:ホン・サンス(HONG Sang-Soo)홍상수

풀잎들 - 위키백과, 우리 모두의 백과사전

もうホン・サンスのやり口はわかってんだけどね、それでもやっぱり毎回楽しみにして、刮目して、食い入るように見て、いちいち驚かなければおさまらない。セリフや構造の反復と差異、繰り返すことによって生まれる、「からむ」執拗なディスクール、そこから出て来る感情の交錯、構造の対比。ああ、またか、今回はこの手で来るか、とそのヴァリエーションを愉しみつつ、そこだけにおさまらない、例えば 김민희 キム・ミニの立ったり座ったりしたときの手足の佇まいとか、ものを飲み食いするときの手つきの美しさとか、川沿い(漢江の上流のほう?)の雪景色の風情とか、いちいち映像も美しいのよ。
『東』东 賈 樟柯 ジャ・ジャンクー

东 (电影) - 维基百科,自由的百科全书

中国の現代画家、劉小東(リュウ・シャオドン)が、三峡ダム工事に携わる男たちとバンコクの女たちをモデルにそれぞれ大作を描きあげるまでを追ったドキュメンタリー。これを撮ったことが『長江哀歌』三峡好人 (2006)につながったという。東のキャンバスに似姿として(あるいはその人の何らかの魂を/あるいはそのとき纏っていたドレスや裸の姿なりに)残された人々の、映像に刻みこまれた生の(あるいはキャメラが捉えた現実の)姿、そしてその一人一人の人生。(苛酷な運命に見舞われる者もいる)。
中国が国家の威信をかけた三峡ダムは、しかし最近の報道によれば歪んできた?とかなんとかで、とにかくなんらかの不具合が見つかっているらしい。そこに人生を狂わされた者、犠牲になった者、故郷を喪った者、そこまでいかなくても損したり得したり人生大きく変わった人たち多いだろうに・・。賈樟柯はぜったいに、土地と、そこを流れる時間と、そこを生き延びる人たちの記憶と人生の時間に注目せずにはいられないのね。
他の短篇もいくつか。
『私たちの十年』Our Ten Years 2007/中国/10分
『河の上の愛情』河上的爱情 Cry Me a River 2008/中国/19分

河上的爱情 - 维基百科,自由的百科全书

『逢春』 Revive 2018/中国/18分/
『河の上の愛情』は、あ、蘇州や。中国本土でわたしが訪れたことのある数少ない土地の一つでした。
いずれも、場所とそこに生きる人間、そしてそこを過ぎていく時間と記憶の物語。とか、書いてしまうとつまんないですねぇ・・それぞれの映像が、もう、賈樟柯 のものとしか言えない、独特の艶とエロスを帯びて、いちいち観る者の享楽を喚起するのでありました。
『記憶が私を見る』Memories Look at me 2012/中国/87分/
監督:宋芳 ソン・ファン (SONG Fang
賈樟柯がプロデュースを手掛けたとのことで、なるほど一通りの一人称語りでなく記憶の側に「わたし」を語らせているという作り。監督の実の家族が出てきてドキュメンタリー風に作ってあるけど、ちゃんと作り込まれた劇映画だということで、身近な人たちを素材にあらためてドラマ(フィクション)を構築することで、ありふれた日常、ありふれた人生のドラマを、あらためて異化することができるというわけなのだろう。特にお母さんが美しい。監督との関係がしみじみと温かい・・。