稍ゝおも

ややおもしろく、ややおもたく、jajaのJa,Ja,おもうこと

散歩道

毎日10,000歩以上の散歩。ジョギングやウォーキングみたいに大きな呼吸をしながらではなく、同行者もなく、孤独に黙々と歩くだけです。自宅から歩ける範囲でいくつかお気に入りのコースができたのだけど、そのひとつ。
大川沿いから毛馬閘門(こうもん)の脇を通って淀川本流の堤に出ると、ちょうどのぼったところの堤の脇に蕪村の碑があって
「春風や堤長うして家遠し」
まさしくその通りの長い堤が目の前に広がります。

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ここに立つと体感温度がぐっと下がる。風のキツさが違うのだ。もちろんその日の天気にもよるけど、「春風」という言葉で思い浮かぶような優しい風ではなくピューピュー吹く強い風(ほかに言いようはないんかい?)。これだけ風があると、マスクなしでジョギングしてる人の息のマイクロ飛沫とやらもあっという間に拡散されてしまうだろうな。
河畔に広がる淀川河川公園に下りて、川のすぐそばを上流へと歩くと、ほどなく淀川名物「わんど」のある地帯にさしかかる。
残念ながらもう絶滅したと言われているイタセンパラが生息していたあたりね。
そのわんどを見下ろすようにかかっているのが赤川鉄橋。その名前に合わせたわけでもあるまいが、赤錆が風情ある古い鉄橋です。

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あれ?この鉄橋、はるか昔に渡ったことあったけどなぁ・・自転車であるいは徒歩で。と思ったのは記憶違いではなく、いまはおおさか東線の客車が通っているけど、それ以前は貨物線の鉄橋になっていて、それに並行して人が渡れるようにもなっていた。
自転車は、かつて(いまはもう諦めたけど)自転車ぐらいは乗れるようにしとかないと・・と淀川堤を自転車の練習道にしていた頃。
徒歩で歩いたのは、思い出したけど、かつて淀川の向こう側にある総合病院に入院してたとき。入院の徒然に(あるいは運動不足解消に)そこまで散歩しにきていたときでした。わたしの発想って昔っから変わってないなぁ・・。
その病院にはずいぶんお世話になっている。わたしはこう見えて(どう見えて?普段はむちゃ体力あって元気です)病気持ちで、これまで大きな病気を4つほどやってるけど、そのうちの3つまでこの病院の別々の科で治療を受けた。(たまたま最初の病気の時にここに駆け込んだのがご縁の始まりだったのだけど)。ここの先生方や看護師さんたちがいらっしゃらなければ、わたしなんてとっくにこの世にいない。
赤川鉄橋を散歩コースにしてたのは最後に入院してた時で、アトピー性皮膚炎のありがたくない症状に全身が襲われてた時でした。その前にお世話になったときが乳癌を手術したときで、そっちの方が生死に関わる大事態だったにもかかわらず、入院自体はわりと平気。易々と過ごしてきた記憶があるけど、むしろ肉体的に死の危険はない(精神的にはあります。辛くて自殺する人があるぐらいだから)アトピーの方がキツかったな。なんやかやでそれなりに収まるまでにまる2年ぐらいはかかったっけ。(同病の仲間にはそれよりもっとはるかに長いあいだ悩まされている人もいますけど。)全身痒くて痒くて掻き毟って眠れなくて布団が皮膚から滲み出る液(「汁」と呼んでる)でぐっしょりになったり、乾いた皮膚のかけらが剥がれ落ちる落屑で床が真っ白になったり(実はこれは現在もある。何年かおきに再発するし常に皮膚のどこかしらに痒いところがいつまでも残っていてつい掻いてしまうのです。)、一番ひどいときは顔にも症状が出てまぶたの上が腫れてお岩さんみたいな顔になったり・・。
仕事も3ヶ月ぐらいは休んだか。それでも食って行かなきゃならんので、そのひどい顔のまま復帰して仕事先の先輩に「おかわいそうに」とか同情されてたりしたけど。
入院は、だから治療のための入院というよりは、一時避難みたいな感じ。特にすることもなく毎日単調な日々を過ごすだけで、病院付属のジムは使えたけど、大して楽しいジムでもなかったので、毎日散歩するのが日課でした。
で、なんでこんな話を延々書いてるかというと、いまの状況とその当時の状況と、自分の精神状態が似ているなぁ・・と。
赤川鉄橋そのものを渡るか、下から見上げるかの違いはあるけれど。
一体いつまでこの状況が続くのか? 出口はどこにあるのか? いつあるのか? それを自分自身でなんともすることのできない無力感。いつかは脱け出るときが来るだろうと思うけど、いざ出たとしても、ちゃんとそれまでと同じ平穏な生活が送れるのか?
・・その当時にお世話になった、いえ、これまでずっとお世話になった(いまでもお世話になっている)医療の現場の方々を思い浮かべ、彼らは単にプロとして当然のお仕事をしているだけかもしれないけど、それによってわたしを含めたくさんの人たちの命を救っているよねって。
とりわけいまは、自らの命を危険に曝しながらでさえ・・本当に頭が下がります。感謝の念しかありません。(もちろん「命を危険に曝す」ことを讃美したいのではなく安全は十分に確保されなければいけませんが・・)。
こないだのエントリーで専門家会議のことを書いたけれど、専門家一人一人(メディアでよく顔を見かける方々)誠実に仕事をしていらっしゃると思う。ただそこに政治が絡んでくると、専門家のアドバイスが意図した通りには行かなかったり、むしろ害になったりもするよね。権力の側につく専門家が民に害を及ぼすことは水俣病原発の例を引かずとも明らかだし・・。