稍ゝおも

ややおもしろく、ややおもたく、jajaのJa,Ja,おもうこと

アップリンクのことなど

先日のリストに入れ忘れてたのが『15年後のラブソング』。昨日見たのが『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』。すごくすごくすごく楽しみにしていた作品だし、もちろん出来は予想以上だし、グレタ・ガーウィグの創り出した、今の今に最もふさわしい『若草物語』の世界に思う存分ひたりきって、外に出てくると、なんだか今の現実(ほとんどの人がマスクをしている)世界が嘘のような、たちの悪い冗談のような気がしてくる。今日は『コリーニ事件』。

一昨日の月曜に初めて行って、会員になって、これからも精々通おうと思ってたアップリンク京都だけど、そのアップリンク浅井隆さんのパワハラ訴訟のニュースはいかにも残念! どこの世界でも、その人にしかできない優れた仕事をしている人ほど、自分の意を汲んで動いてくれる人に対して辛く当たることがよくあるんだろう。ことに映画とか演劇とかの世界では、作家としてのエゴが、他者を利用したり支配したりという方向にいってしまうこともあるのだろう。良いものを追求するという名目で、現場が苛酷で非情な環境になってしまうこともよくあるんだろうな。これまでアップリンクが見せてくれたものすごくユニークな映画作品群が、どれだけわたしの(映画的)栄養になってきたか・・。浅井さんの仕事が独創的であればあるほど、本当に残念でならない。

この業界、他の人、他の組織でも似たような話は耳にしたことがある。自分一人でやるならどんな無茶でも無理でもシャカリキにやり遂げてしまうことができるかもしれないけど、それを他者にやらせたり、自分の意に沿わなかったりしたときに、パワハラモラハラ・・は、やっぱりあかんよなぁ・・。

映画にハマり始めたはるか昔の頃、これを少しでも飯の種にできないかとよぎったこともないではなかったが、作るにしても、見せるにしても、また評論など周辺で関わるにしても、ホントに厳しい世界。それを仕事にして食ってこうとすると、わたしにはとても無理だと観念したことがある。

浅井さんは今回のコロナ禍のなか、ミニシアター(や映画業界全般)が生き残るためにも素晴らしい働きをしていた方だし、だからこそ、今回の訴訟をひとつの奇貨として、業界全体を見直してもっと良い環境にしていくような動きになればいいなと思う。わたしは消費者として、一ファンとして関わることしかできないけれど・・。

ちょうどおんなじようなタイミングで、いま映画館にいくと予告篇が流れている、ティモシー・シャラメくん(いま旬ですね!)の次の作品の監督、ウディ・アレンにまつわるきな臭い話も聞く。そのことでハリウッドが(アレン批判派と擁護派に)二分されてるとも聞く。こういう場合はまず被害者の言い分を丸ごと受け入れることが基本で、そうなるとアレンを弁護する余地などなくなるのだけど・・。しかし幼児期に保護者から性的虐待を受けた記憶というのはしばしば偽の記憶であることも多いと聞くし、真相はどこまでいっても闇の中なのかもしれないし(でも、きっと、そんなふうに言うと被害者を追い詰めることになってしまうのでしょうね)。

それにしても、ウディ・アレンぐらい長いキャリアがあってどの映画も秀作というような人ならもちろんのこと、浅井隆さんも、また『童貞。をプロデュース』の松江哲明監督も、劇団「地点」の三浦基さんも、また『人間の時間』のキム・ギドク監督も、それまで自分のやり方で強引にやってきて、それでちゃんとした作品を創りあげてきたんだって自負も誇りもあればあるほど、間違いを認めることが難しいし、変わることが難しいんだろうなぁとも思う。たとえ表面的に反省したとしても、意識の底では自分が正しいと思ってるかもしれないし。また、周囲がひどい場面を目撃しても「あれが彼のやり方で、彼はちゃんと結果出してるんだし」と黙認することもよくあるんだろうし、部下が酷い目に遭っても、自分は好きな仕事をしてるんだし尊敬する人についてきてるんだからと「やりがい搾取」されることもあるだろうし、それを当然視して再生産する環境もあるんだろうし。

昔の人ならもっとひどい話をいっぱい聞くもんな。映画製作一つとっても、俳優のプライドを粉々にしないと気が済まない監督とか、女優に手を出す監督とかプロデューサーとか、「灰皿が飛ぶ」ことで有名な舞台監督とか、DVで告発された劇作家とか。ああ、わたしが自分で体験した広告業界・出版業界でいうと、幻冬舎と箕輪厚介の問題もあったよね。これはもう弁護の余地など微塵もない。女性のフリーライターにはセクハラして当たり前、枕営業を要求して当然と思ってる編集者とかディレクターとかクライアントとかうんざりするほどいる。ましてや芸能界の枕営業の話なんか、もう男女問わず洋の東西問わず反吐が出るほどあるもんな。

こういうのは一人一人が意識して変えていかないといけないし、そういうのが集まって今とは異なる文化を作っていかないといけない。映画監督で言えば、例えば、監督だからといって現場を「支配」することは決してしないし、俳優に指示を出したりすることもしないということを方法論にしているというアルベルト・セラとか(諏訪敦彦さんも同じような方法論でやってると聞く)、出演陣やスタッフに最大限の気配りを行うという黒沢清さんとか深田晃司さんとか、いろいろ良い例もよく聞く。カトリーヌ・ドヌーヴを立ててフランス映画を監督した是枝裕和さんの、その『真実』のメイキング見てると、「日本だったら『もう今夜中に撮ってしまおう』となるところ、フランス映画の現場では決してそうならない」みたいなことをおっしゃってた。つまりは日本の現場で「無理を通す」ことをスタッフも監督もみ〜んな当然としている局面、世界標準ではもうそうなってないってことだな。しっかりルールを作った上で、こういう文化になっていけばいいけど。そして映画に関わる人たちの全てが、ちゃんと良質な作品を創りつつ、食ってけるようになればいいと思うけど・・。

   *

新型コロナで公開延期になってたやつでこれまでのところ良かったのは、もちろん『デッド・ドント・ダイ』に『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』。今日見た『コリーニ事件』もなかなか・・。また改めて感想書きます。

『デッド・ドント・ダイ』で神々しいお姿を見せていらっしゃったティルダ・スウィントンさま(←これは当然「さま」づけ)も、初めて見たのはアップリンクの配給したデレク・ジャーマンの作品群だった。あの若くて美しくて知的で、性を超越した存在のみごとだったこと! もう手放してしまったけど、ジャーマンのビデオソフト(当然アップリンクの製品)は、いちばん好きな『エンジェリック・カンヴァセーション』はじめとしてずら〜っと持ってた。クイアの世界に目を開かせてくれたのもそのあたりが最初でした。アップリンク京都のオープニング作品にもジャーマンは含まれてたっけ? 全く知らない人に『BLUE』とかはちとキツイかもしれないが、またスクリーンを凝視しに行ってみたい気もする。(家のモニターじゃダメなの)。