稍ゝおも

ややおもしろく、ややおもたく、jajaのJa,Ja,おもうこと

『その手に触れるまで』と『ヴィニルと烏』

夏の持ち物。晴雨兼用傘、扇子、ショールまたはカーディガン、水筒、ハンカチまたはタオル、ティッシュ、今年はこれにマスクが加わり、あと、いつもの財布だのカードケースだのスマホだの鍵だの眼鏡だの筆記用具だのイヤホンまたはヘッドホンだの本だの、必要に応じてパソコンとかノートとか・・出先によってはいくつか省けるものもあるしもちろん加わるものもある。
で、いつも何かかにか忘れて出る。エレベータの中とか行きしの道で気づいて、あ、戻るのもう面倒と思ってそのまま出かけたり。むしろ完璧な状態で出かける方が少ないのではないか・・。
そして、出先や帰途で何かを忘れてきたり・・。傘とか扇子とかハンカチとかでは、自分が大事にしてるもの(もしくは入手価格が比較的高かったもの)に限って、なくすことが多いんだよなぁ・・。わたしはわりとしつこく、例えば電車の中とか映画館とかにものを置き忘れたときなんかも取りに行ったりするのだが、良いものの場合、置き忘れた場所とか時間とかが記憶に残っていてさえ、出てこなかったことがある。つまり、誰かが取っていくのであろう。ま、その誰かのところで無駄なく活用されていれば良しとする。(しかしケチのわたしは悔しい)。
あ、そういえばわたしのところに届いたアベノマスク(事務所にも届いてたから計4枚)、友人の家に届いたやつも合わせて、活用してくださるという団体に送った。なんだか不用品を(しかも衛生的に問題ありそうな代物を)送りつけたようで気が引けるけど、もし活用してくださるというならそれでいいだろう。
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新型コロナ禍、世界的にはまだまだどんどん感染者も死者の数も増えつつあるのに、第一波が過ぎたと見做された国々では自粛解除の動きが広まっている。まだ早過ぎる!と危惧する声も聞こえるが、それなりの犠牲は伴いつつも経済は少しはまわしていく方がいいのか・・歴史的にどう判断が下されるのかわからない。
それにしても日本の施策は酷過ぎるな。東京でまた50人越えしてるというのに、あの東京アラートやらはどこへ行ったんだ? それに専門家会議、当事者にまるっきり知らされず勝手に解散させられたとか。なんなんだこのやり口は? 維新をいただく大阪も、首長がテレビで顔売ってる(=何にもやってない)スキに、10万円給付は遅れるわ、づぼらやみたいな地域の名店が廃業していくわ・・(ニュースにならない店がいっぱい潰れてる。近所でも)。
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アップリンク問題は根が深いと思う。以前には書かなかったが(後出しジャンケンぽいけど)浅井さんからの謝罪メッセージが出たとき、すぐに思ったのは「早過ぎる」ということだった。なんだか、面倒な問題はさっさと片付けてしまって、早く自分本来のペースに戻りたい。そのためには下手に抵抗せず全面降伏の形を取っといた方が得策・・みたいな、利己的な意図が透けて見えたから・・。ただ、そんなふうに他人の意図を勘ぐるのも良くないかなと思ったし、そのあと出てきた具体策を評価している向きも(同じ業界の人で)いたので、その時は書かなかった。

原告側からあらためて声明が出て、ああやっぱり・・と思ったけどね。このたびは原告側を全面的に支持しますわ。

自分に非はない(正しい)と(どこかで)思ってる人は、口先だけで反省とか謝罪とかはいくらでもするのよね。一刻も早く告発を免れたい(自分にとって不利な状況を脱したい)という利己的な動機から。もちろん本当に反省しているわけでは毛頭ないから、自分が好きにしていい局面に戻れば、やっぱりおんなじことしてしまう。DVやる人ってほぼこれ。いじめやDVの加害者は、被害者にも悪いところがあって自分はむしろ被害者だと思ってる人がすごく多いらしいし・・。人間って「変わる」ことが本当にむずかしい。特に自分の側に正義があると思い込んでる人間は・・。(わたし自身だってそうだけど。)

ダルデンヌ兄弟の新作『その手に触れるまで』で、自分に圧倒的な正義があると思い込んでいる少年もそうで、一刻も早く義を貫くための行動に出たいから、口先だけで周囲を騙すなんてこと平気でやる。(師のやりかたを正確になぞっているのだ。)予告篇ではこれが救いになるのではないかと思わせた、少女との思いがけない邂逅(この少女もすごい!)で動揺しまくる少年の表情が素晴らしいのだが、やっぱりダルデンヌはぬるい展開は用意していない。自らに義があると信じる少年はなかなか変わることはできない・・。邦題が匂わせる「救い」が本当に訪れたものかどうかは、わからない・・。

『その手に触れるまで』監督:ジャン=ピエール・ダルデンヌリュック・ダルデンヌ 

Le Jeune Ahmed — Wikipédia

アップリンクは、やっぱり浅井さんがトップを退かなければ収まらないと思う。だけど、浅井さんのレガシーというか、ここまでやってきたノウハウとか映画への鑑識眼とかを活かすかたちで、アップリンク自体は続いて欲しいなと思う。野次馬が無責任に思うことでありますけどね。

実はこないだも行ってきたのでした。アップリンク京都。大阪で見逃したものがあったもんで。で、これもまたいじめを主題にしていたところが、なんとも皮肉すぎますが・・。

『ヴィニルと烏』監督・主演 横田光亮 

いじめは残酷であからさまな強者による弱者の「つつき」(集団にある「つつきの順序」)にほかならないんだけど、だからって弱者がそれに対抗するために「強くなる」ことが有効なのか? そうはいかないんだよね。冴えざえとした映像の美しさが、その残酷さをきわだてる秀作でした。

それにしても『許された子どもたち』もそうなんだけど、こういういじめ映画って、いじめられる側を演じた子どもよりも、むしろいじめる側を演じた子どもたちにトラウマが残りはしないかと心配する。