稍ゝおも

ややおもしろく、ややおもたく、jajaのJa,Ja,おもうこと

闘う君の歌を・・・

「没有暴徒、只有暴政」(暴徒はいない、暴政あるのみ)とは香港の街で抵抗運動する若者たちのスローガンであるが、ああいう市街戦に免疫のない映画友達は、香港インディペンデント映画祭でかけられたドキュメンタリー映画(『理大囲城』)などを見てショックを受けていた。「なんであんな暴力が必要なんだろう?」って。
かつても「暴力学生」と呼んでいたな。その時代を振り返るドキュメンタリー映画が(少し前だけど)立て続けにあって、特に韓国人女性監督による『狼をさがして』(監督:キム・ミレ)など見てると、東アジア反日武装戦線の若者たち。その思想、信念、彼らの「反日」は、一ミリも間違ってないと思う。犯した罪は罪としても量刑が異様に重たいのも、転覆を謀られた国家権力の側としては当然といったところか。ネトウヨがリベラル層に対して口癖みたいに浴びせかける「反日」という罵倒は、ちょっと政府を批判しただけでそう言うんだから、重みが違うよな。本物の「反日」は、今の時代もう存在しないんだろうか?
『きみが死んだあとで』(監督:代島治彦)は、わたしたちより一世代上の(中高時代の「憧れのお兄さんたち」)羽田闘争で殺された京大生の死と不在のあとで、学生時代行動を共にしその後さまざまな道を歩んだ人たち(しかし大阪府立大手前高校OBの錚々たる面々!)の証言。そうか。その時代のその人たちは中核派だったんだ。わたしたちの頃の京大は(一部の学部を除いて)いわゆる赤ヘル軍団ノンセクトラジカルが中心だったな。なんだか周りのクラスメイトがそうだったからわたしも味方で、代々木(共産党系)嫌いで、代々木の方々からは「トロシンパ」(トロ=トロツキスト)と呼ばれたなぁ・・とか。わたしのは単なる醜悪なノスタルジアかもしれないけど、彼らが運動に身を投じそして離れていくその過去語り、その過去は決して終わってはおらず、まだ闘いを続ける人々がいること。彼らの場合も、彼らの信念は、一ミリだって間違っていない。
そういえば『グリード ファストファッション帝国の真実』Greed(2019) Dir: Michael Winterbottom Cast: Caroline Flack, Steve Cooganという英語タイトルはgreedそのものの映画もあって、タイトルロールそのものの主人公をスティーブ・クーガンが戯画化寸前の(とはいえあの最期はやっぱり戯画か?いや寓話?)軽妙かつ飄逸な手捌き足つきで演じていたが、資本主義が絶えず生み出しIT化やグローバル化がそれをますます膨らませる強欲そのものの人間たち(強欲に縛られた人間たち?)が弱者を踏みつけにし徹底的に搾取し地球環境をも搾取し尽くすのは(コロナ禍のさなかでさえ彼らは千載一遇とばかり儲けに儲けまくる・・)、どこかでストップさせないと・・。
しかし、どうやって? 闘い方が問題だ。