稍ゝおも

ややおもしろく、ややおもたく、jajaのJa,Ja,おもうこと

COVID-19(?確定ではありません)感染記

あらかじめ念を押しておきますが、以下に書くことはあくまでわたしが個人的に体験したこと、体感、感じたこと・考えたことであって、一般的な話ではありません。
また、以下の体験をわたしはCOVID-19(新型コロナウィルス感染症)に罹患したかも?と疑ったわけですが、これに関して確かな検査結果を得たわけでもないし、専門家に鑑定してもらったわけでもありません。あくまで「疑い」です。
で、そういう疑いを得た根拠としては、これまでに罹ったことのある風邪(わたしがよく罹る風邪)と症状や経過が違っていたこと、また、よく聞く一般的なインフルエンザの特報とも違っていたこと、そして逆に、これまであちこちで見聞したことのあるCOVID-19の症状や経過と似たところがあるということ、だけです。根拠とするには不十分です。だから当然ながら断言はできませんが、ひとつの経験として書き記しておこうと思います。

よくよく後から思い出してみると予兆らしきものはあったのでした。いわゆる潜伏期間?(もちろんこれも後付け記憶のこじつけかもしれませんが)。ひとつは、身体的な倦怠感はなかったものの、なぜか精神的に、例えば家事をしたり仕事の準備をしたり外に出かけたり、といった節々で、なんだかものすごく面倒くさく感じてしまい、「なんでこんなふうに何もかもが面倒臭いんやろ?」と思ったこと。まあ普段からものぐさな性格ではありますが、仕事の準備でいろいろ荷物調えながらそう思ったことを憶えている。そしてもうひとつ。これは4〜5日間ぐらい続いたと記憶しているけど、喉の奥に違和感があったこと。不思議な違和感で喉の入り口付近に軽いチクチクがあり、初めは魚の骨でも刺さってるのかな?と思った。そんなときに誰もがするように?うがいしたりごはんを飲みこんでみたりペンライトで喉の奥見てみたり・・いろいろしてみておさまったかな?と感じるのだが、その次に飲み物などを飲むとやっぱり違和感が・・。いつまでも取れないならお医者さん行ってみよとか思って数日間・・(のちにCOVID-19かと疑われる風邪がひととおり収まったあと喉のチクチクはきれいに解消してたのであれも予兆だったか?と思ったけど、ま、ほんまに魚の骨だったという可能性もなきにしにあらずですね。)

で、激烈な(わたしにしては)症状が始まった日。その前夜、友人知人らとお酒を飲んで帰宅してまた飲んで寝たのでまあ飲み過ぎではあったのだ。(けどその程度の飲み過ぎはよくあることで滅多に二日酔いなどになることはない)。始まりは夜中、突然の頭痛で目が覚めた。頭のてっぺんから来るような痛みで、最初は「飲み過ぎや」と思い、たまにある翌朝頭が重い系の二日酔いにちがいないと思い、とりあえずトイレに行ってまた布団にもぐりこみ、飲み過ぎなら朝までゆっくり寝れば収まるかなと思い、なんとか寝ようとした。ところが朝になっても頭痛はおさまらず(少しはましになったが)、それでもその時点では二日酔いだと思い込んでて、頭痛いけど仕事行かねば・・と出かける準備をした。その身支度中、からだが熱っぽいのに気づく。なんだか熱っぽい、それなのにおなかあたりに寒気がくる・・アンダーシャツを一枚足した。体温計をひさびさに使うと、なんと間抜けなことに壊れている!(いちばん高いとこまでまで水銀柱が上がってるのでビビったけど振っても下がらずよく見るとガラスに罅が入ってた。)そこまで高熱?と一度は恐怖したが体感的にはそれほどの高熱ではない。だけど熱はありそう。さてそれから。朝食食べる食欲がまるでないのでコーヒーだけ飲むのだが、そのとき気づいたのが咳と喉の痛み。あれなんだこりゃ?そこで初めて風邪か?と思う。それに加えて鼻水がスーッと出る。咳と喉に痰がひっかかる感じと鼻水とが徐々にひどくなる。そこで初めて、ありゃこれはいつもの風邪と違うと思う。わたしのいつもの風邪(それもここ数年かかったことなかったのだが・・というかコロナ禍期間気をつけてたせいか一度もかかったことなかった)ならまず鼻風邪から入ってくしゃみ鼻水ひどくなりそれから熱とか喉とかに移行してという感じが、このたびは喉が先、鼻はそれに付随するという感じ。ここで初めてCOVID-19を疑った。喉の症状がきついと言うし・・。

ここで痛恨事が一点。この最初に症状が出た日、それから4日間ぐらい酷かったし1日目で「これはCOVID-19では?」と疑っていたのに、けっきょく仕事は(ほかの予定も)休まなかったのだ。熱あって咳出て朝昼食欲なくて食べてないのになぜか元気に歩きまわれて、2日目など図書館往復とかして16,000歩歩いたりしてた。1日目に仕事に向かう際「ここは今からでも電話して休むべきでは?」と何度も考えたのだが、結局マスクだけを引っ掴んで行くことにした。咳き込むのを「喉の調子が悪くて・・」などと誤魔化したりして我ながら最低だったと思う。2日目の晩に、これで誰かにうつしてたりしたらどうしよう?仕事柄受験生とも接触するのに、わたしからうつされて受験に影響したりしたら最悪だ。死んでお詫びしても足りない・・有害なウィルスを撒き散らすだけのわたしなんて生きてる価値がない。そうだ死のう・・とか夜中にぐるぐる考えてたりした。こういう精神状態になるのも一つの症状か・・主な症状消えるとそういうのも吹き飛びましたが・・。

で、その後の経過。頭痛はきっちり2日間で収まった。熱は3日間ほどで収まった。鼻は3日目が一番ひどくてあとは徐々に収まった。喉と咳と痰が一番ひどくてなかなか収まらなかったが1週間ぐらいでまあまあの状態になり・・。ただ、わたし普段から喉は少し弱くて普通の風邪引いたときも風邪が治っても喉の調子だけはいつまでもよくなく乾燥した室内にいると(あるいはエアコンの細かな埃に反応しているのかもしれないが)喉のイガイガが苦しくなって咳き込んだりということがある。白湯を少しずつ飲むとかで改善するので今もそういう状態です。
そうそう。もうひとつ特筆すべき症状があったのだ!これが出たのでわたしは半ばCOVID-19と確信したのでした。1日目朝昼食欲なくて食べられず夜は少し口にした程度。そのときは気づかなかったが翌朝のコーヒー、そして二日めの朝昼も食欲なくて食べられず、二日めの夜にはっきり気づいたこと。なんと味覚障害が出ていたのでした。味覚や臭覚が全くなくなるというわけではない。味や匂いはわかるのだけど、その味がおかしい!どんな味も変な苦味がくっついて感じられる。水飲んだときですら口の中にいやな苦味が残る。試しに舌に食べ物乗せてみて確信した。ふだん美味しいと思って食べている食べ物に変な苦味が感じられる!食欲なかったのもこのせいか・・。というわけで三日間あまり食欲なくて少ししか食べられず四日目の昼にふと思いついてだし味なら食べられるかも?と思いうどん屋さんできつねうどんを食べる・・なんとか食べられたけど今度はひさびさの一人前の食事だったせいかお腹をこわしてしまい・・と情けない状態が続いたけど、これも1週間程度でマシに。最後まで苦味だけが変でいつものコーヒーの苦味がいつも通りでなくあまり美味しくないという状態が続いたが、これもその後1週間で完璧に収まったかな。治った日のこと覚えてるのはなぜかと言うと、朝からコーヒーが美味しくて続けてがぶがぶ3杯も飲んでしまい(うち2杯はカフェオーレ)、そのあと行った映画館でわたしにしては珍しく中座してトイレに行くという事態を招いてしまったのでした。

以上。わたしにとっては結構大変な経験だったけど、よくよく見直してみると熱は3日で収まってるし呼吸困難とかは出てないし味覚障害は診断基準にならない(?)し、コロナ検診にすら繋がらないケースだな。自主的に行くなら別やけど・・。
きっとこういうケースが世の中山ほどあるんだと思います。わたしが感染源になって人にうつしてたらどうしよう?と悩んだけど、あとで耳を澄まして聞いてると、インフルエンザが流行ってて学級閉鎖が出てるとか、本人コロナじゃないかと自覚症状あったけど受験を諦めたくないのでそのまま入試受けに行ったとか(複数)・・かと思えばまさしくCOVID-19でつい最近亡くなった方(高齢者)がいるという話も・・。

からだが「もの」になるとき

それにしても当事者たちは気づいていないのか、そのような画像(イマージュ)を見たことがないのか、見ていても気づかないのか、パレスチナ人らをもののように不要物のように扱い、ゴミのように運んだり捨てたり埋めたり(殺したり)するのは、前の戦争でナチスユダヤ人らのからだを扱ったのとまったく同じであることを。

イスラエルが約束の地である一方で、そこを占拠するパレスチナ人らは全員テロリストで、だから子どものうちから摘み取っていかないといけない、殲滅しなければならないという考え方が、ユダヤ人を劣等民族で世に害をなすものでしかないから全員最終処理して構わないという考え方とまったく一緒であることを。

という指摘をいろんな人がしている、世界のほぼみんながわかっているのに、その当事者らが気づいていないのか・・。

そして世界の目の前でおこなわれているこの非道をなんで世界が止められないのか、それどころか、アメリカやドイツをはじめとする西欧諸国が非道に与しているのを、まざまざと目にする、この現在よ。

みたいなことが頭から離れない年末に見た、塚本晋也の『ほかげ』の、ひとのからだのイマージュが、まさしく闇の時代に浮かびあがる「もの」としての「からだ」を描いていると感じた。

女の脚も、一の腕も、男の腕も手も、そしてつらつら並ぶ顔さえもが、「もの」でしかない時代。そこで唯一人間の顔つきをしているのが主人公の少年である。

この少年、予告篇で見たときはこの時代の子どものキャスティングとしては上品過ぎないか?可愛らし過ぎないか?とあやぶんだのだけど、それはわざわざそうしてあるのだなと。少年は逞しく生き延びるのだけど、元はきちんとした言葉遣い仕草をどこかで学んできた「上品な」人間なのだ。本来の元の意味の「品」を備えている(身分がちがうという意味でなく)。

人間が「もの」として雑に扱われ、自ら「もの」になっていく時代に「人間」としての「品」を貫くには・・?

なんて印象も入れながら簡単な詩にしたものが以下に置いてあります。よしなに

jaja84ans.blogspot.com

新年のごあいさつ

とりあえず新年のご挨拶だけ申し上げておきます。

あけましておめでとうございます。

と素直に言えない情勢でありますが・・

ガザも心配だし能登も心配だし原発はもっと心配だし・・

パレスチナ人支援のために北陸の被災者支援のために、なんらかの行動している人、活動している人たちを、攻撃したり冷笑したりする風潮があるのを残念に思う。

イスラエルを支持してパレスチナ人に関するあらぬデマを振りまいたりするのは論外だけどね)

何かできる人はすればいいと思う。わたしもできる限りのことはします。

素人が被災地に行くのは良くない、行かん方がいいみたいな声も大きいけど、行ってみて適切に動いてみれば、必ず役に立つやり方を見つけられます。なんなんだ、いまの政府の、外国の支援も受けないし自分たちは動かないし支援も送らないし動かないのを正当化するやり方は・・

とにもかくにも本年もどうぞよろしく。

太陽劇団

こっちの方が書きたかったの。ものすごかった。圧倒された。期待を上回る。3時間の長丁場をまったく長いと感じさせずすこしも飽きるところがなかった。

'60年代後半からの前衛芝居で世界の旗手を務めながらその強度を今のいままで保ちつつ世界のトップを走り続けるんだからそれだけでもすごい。わたしがまだガキンチョで本邦を出ることなく天井桟敷だ赤テントだ黒テントだと夢中になってた頃からの憧れだったもんな。アリアーヌ・ムヌーシュキンという不思議な名前とともに・・「太陽劇団」というそのものズバリの訳語を定着させてくれた先人に感謝する。テアトル・デュ・ソレイユとか呼ぶよりずっといい。

で、今回の『金夢島 L’ÎLE D’OR Kanemu-Jima』がわたしにとって初「太陽劇団」観劇体験。これまでドキュメンタリー映画は見たことあったけどナマは初。それがまた日本が舞台という・・コロナ禍がなければ一昨年京都が初演だったはずだという・・。

京都エクスペリメントでチラシを見かけて慌てて前売券買ったのだけど幸い前から2列目の良い席で見られました。最後に挨拶に登場したアリアーヌさんも間近で見られたしね。

まず芝居そのもの。3層構造になってて第1層がベッドに横たわり日本の夢を見ているひとりのフランス人のおばあさん。この層に登場する人物は基本的に素顔。

彼女の夢のなかの日本が第2層。これ以下の層に登場する人物はみな不思議な仮面をかぶっている(というか顔に装着している)。仮面劇はこの太陽劇団の一つの伝統であろうと思う。で、夢の中の「日本人らはみんな日本語を喋っているけど完璧に理解できる」という設定で、したがって金夢島の日本人らは芝居内では全てフランス語を喋る(字幕が出る)。のだが、このフランス語が不思議なフランス語で倒置法を多用する。エレーヌ・シクスー(ラディカルなフェミニストであり詩人であるこの人も昔っからわたしの憧れの的)が手を入れている詩的言語だからか?と思ったが、よく考えてみればこれは「日本語っぽいフランス語」の表現なのだろうかと気づく。(例えば「.............がある」と日本語で言うときフランス語では「Il y a (イリア)............」という語順になるのだが劇中のセリフでは「.............. il y a」という語順になってる。ネイティブのフランス人が聞いたらかなり違和感があるのではないか。)

その日本の金夢島で開催されるフェスティバルにさまざまな出し物が登場しこれが第3層。ここに賑やかにも世界のあらゆるactuel(今日的というとなんかぬるい。まさにアクチュエルで政治的)なネタが登場し世界のさまざまな言語そのものが話される。(ひとつ残念だったのはユダヤ妻とアラブ夫との夫婦漫才。よくあるネタとはいえ今のパレスチナの情況からはちょっと笑ってみてらんなかったな・・)。金夢島そのものの物語(カジノ開発!)もふくめこの常にactualitéを喪わないところがまた太陽劇団の強みと思い知らされる。

世界のあらゆる言語、あらゆる伝統芸、とりわけ日本の伝統芸を学び演じる役者らの演技力、それを具現化する演出力は大したものだと唸らされる。(観客によってはやっぱり日本の伝統芸を取り入れた部分に不満がある人はいたみたいで「フランスでやった時よりは少しはマシになってた」みたいな声も聞こえた。そりゃーすり足がすり足に限りなく近いけどやっぱり違うとかそれはそれでそういうあえて「もどき」(擬)の表現なんだと思うけどね。)

古典的な日本語(たぶん謡曲のセリフを改変したもの)をそのまま役者が口にする場面もあったけど、面白かったのがその古典の日本語と字幕がちがってた場面。日本人にも古い日本語は聞いてそのまんまわかる人が少ないことわかってての演出か?フランスで上演するときのフランス語字幕はそうなってたんやろな。

そして場面場面の転換は、役者も含め黒子も含めそれもまた演技の一部としてみんなでやる。ここがまたこの劇団らしいところで、役者も大道具係もなくヒエラルキーなく全員平等という共産主義がちゃんとここにも生きていて舞台上でも見せてくれるわけだ。セットの巧みさ、美術の巧みさ、素早く鮮やかに場面が転換し人びとが舞台上を駆けめぐる。いろんな芸を見せてくれ、物語を過不足なく語っていく。

全体的に歌舞伎のように楽しい楽しいスペクタクルを観ているような印象。たっぷりと満足感。刺激的な部分はいっぱいいっぱいありながらしかつめらしい難解さを感じさせない。本当に「すごい」と圧倒された舞台でした。

ああまた見たいな。新作も見たいな。旧作も見たいな。フランスの本拠地も行ってみたい!

 

京都アンビエント

京都アンビエントのことも書いておこう。テリー・ライリーの雨中のコンサート以外では、京都新聞ビル地下1階と京都中央信用金庫 旧厚生センターの展示を見たのですが、両方おもしろかったです。

まず京都中央信用金庫Corneliusの楽曲を部屋中に満たし音楽と音響と照明と映像とがコラボして文字通りアンビエントに楽しめる作品も、Buffalo Daughter / 山本精一の音楽と映像作品のインスタレーションも、とても良かったです。平日に行ったせいか意外と人少なめで、ある作品の中では先客いなかったことを幸い踊ってきました。(思いっきり下手クソな自分勝手踊り)。他の部屋(特に一番大きな部屋)でもみんな踊ればいいのに・・とか思ってました。

一番好みだった作品は、部屋のなかを霧で満たした作品「霧中夢 -Dream in the Mist-」。他の観客の姿がぼやっと見えたり見えなかったり変な雰囲気で見えたり、床が沈んで見えたり浮き上がったり見えたりのなかで、音楽と光の動きがダンスのようでとても刺激的でした。

京都新聞ビル地下の作品「async - immersion 2023」にはたっぷり3時間ぐらい長居したなぁ・・。坂本龍一の音楽は約1時間でひとめぐりするのだけど、高谷史郎の映像が同じモチーフを幾度も使いながらまったく同じパターンは一つもなく、ずーっと変化し続けていくところが面白くて面白くて・・。同じ作品の別ヴァージョンは東京で見たことあったけど、これも全く見飽きませんでした。

ここは昔は印刷工場だったのかしらん?輪転機が数多く回ってたのかしらん?そう想像すると新聞インクの匂いまで残っていそうで・・廃墟感のあるだだっ広い空間に横長の白い大きなスクリーンが置かれ、雰囲気もすごかったです。

いずれの会場も、作品のなかを自由に歩きまわったり動きまわったり座ったり立ったりダンスしたり・・その体験じたいがとても楽しかったです。

 

金色の仏さんに逢いにいく

タイ・チェンマイへの旅行は後日譚もひとつあって・・

大阪・中崎町のヨルチャというギャラリーで「夢の奏で」という素敵なイベントがあった。自分の見た夢をピアニストの権頭真由さんに語ると、それを元にすぐ即興曲を創って弾いてくれるというもの。しかもその場は権頭さんとわたしとの二人きりのやりとりになる(厳密にはお茶を出してくれるヨルチャのご主人も同席する)。

権頭さんはご自身も夢を見てはそれを曲にするということを日課にしていらっしゃる方で、月が好きというのもわたしと共通している。このごろ(というか歳食ってからは)おもしろい夢を見なくなったわたしだけど、興味津々わくわくドキドキ参加しました。

わたしの持参?した夢は「金色の仏さんに会いに行く夢」。チェンマイ旅行の印象が夢になった。当地は金ピカの仏さんだらけで残らず仁義切ってきた話は以前ここに書いたとおりだけど、現地に行ってからの感動とか感興とかはあまり夢に出て来ず、行く前のあるいは行く途中の(久しぶりの海外旅行だったもので)不安や恐れの方が夢に出ちゃったな。

夢:金色の仏さんに会いにいく。西から東へ向かうバスに乗って行く。女性の友人(特定の知人ではない)三人で行くのだが一人どうしても遅刻になる。仕方がないから置いていこう。途中なぜかバスを降りて徒歩で行ってて、マレーシア旅行で行ったことのある(これはホント)海辺の岩場みたいなとこで、わたしの苦手なムカデの小さいみたいなやつ(青と黄色の綺麗な縞模様で長い逆二等辺三角形みたいなかたちで足が多く頭に触覚がある。わたしはそいつに噛まれた経験がある・・というのは夢の中の設定)がバラバラと大小落ちてくる箇所があり、わたしはビビるのだが(バスの乗客の)ほかの男たちが気づいてないようなので知らん顔して内心ビクビクしながらやり過ごす。次の難所は下が崖の細い道で、一人ずつ岩に張り付きながらそろそろと通り抜ける。そんなこんなでようやく辿り着いた先で出会った仏さんは、ほんまに金色にピカピカ光って神々しくありがたかった。

こんなふうに整理して語れなかったが、語り終えると権頭さんからいくつか夢のディテールなど質問がある。特に多足類が降ってきたときの気持ちなどを聞かれた。すごく綺麗なんだけどゾッとする嫌なやつみたいな。権頭さんも虫の夢をよく見るらしい。金色の仏さんについてはチェンマイで撮ってきた写真をお見せした。

で、できあがった曲。素晴らしかったです。あ、ここからバス旅行、ここで多足類がばらばら降ってくる、このあたり崖、そして最後の神々しい仏さんとの邂逅・・と。

本来わたしと権頭さんだけのものなので音源は公開しませんが、もし興味あればわたしと直接会ったときにでも言うてください。お聞かせします。
幾人かの友人に聞いてもらったんだけど、そのときは夢の内容を伏せて曲だけ聞いてもらい「どんな夢だったと思う?」と聞いてみた。
そうしたら結構みんな当たってるのね。なんだか楽しくどこかへ出かけている?とか上から何か落ちてきた?とか(逆に)墜落した?とか最後は豪華なホテルにいる?とかふかふかのベッドに寝てる?とかスケール(音階)からしてアジアのどこかかな?とか・・。

夢とイメージの出会い。おもしろくて素敵でした。
で、さらにこの後日譚があるのだ。

この夢の話をしたあとだったと思う(あるいはその前で写真みせながらチェンマイ旅行の話をしたあとだったかも?)。友人の親戚の娘さんが「夢に金ピカの仏さんが出てきた」と。「あわてて何かお願いしようと思うんだけど何も思いつかなくてとりあえず『ありがとうございます』だけ言うといた」と。すると、なんと、ホントにご利益があったそうなんですね。これが。
わたしがチェンマイで仏さんらに残らず仁義切ってきたのもなにかしらのご利益あるかしらんといじましい下心がなきにしにもあらず・・だったんだけど、なんとこういうかたちでご利益をさらわれてしまいましたとさ。
こういうのってなにか精神分析かなんかで横滑りみたいに言うのでしたっけ?

京都エクスペリメントなど

10月はなにやかにやとバタバタで雨中のテリー・ライリー@東本願寺能舞台をはじめ観客として参加するイベントが数多く、つまりは消費する方がいっぱいいっぱいでいろいろ日程が重なることが相次ぎ、アウトプットする方つまり自分が人前で発声したり身体表現したりという機会がまったくなかった。残念。せっかくその方面の場とか機会とか人々とかとつながりができはじめているのだから、向後はがんばって参加の機会を見つけよう。と言いつつ、京都エクスペリメント見に行ってチラシをどさっともらうと、あ、これも見たいあれも見たいとなり片っ端から予約つけていくので、消費がますます増えていくばかりなのでありました。もちろん映画も見てるしね。

先に書いたタイの作品以外に今年の京都エクスペリメントで見た演目は以下のとおり。
アリス・リポル / Cia. REC  Alice Ripoll / Cia. REC
Lavagem(洗浄)

山内祥太&マキ・ウエダ  Shota Yamauchi & Maki Ueda
汗と油のチーズのように酸っぱいジュース  Sweaty-oily Sour-cheesy Juice

バック・トゥ・バック・シアター Back to Back Theatre
影の獲物になる狩人  The Shadow Whose Prey the Hunter Becomes

ルース・チャイルズ&ルシンダ・チャイルズ  Ruth Childs & Lucinda Childs
ルシンダ・チャイルズ1970年代初期作品集  Lucinda Childs 1970s Early Works:
Calico Mingling, Katema, Reclining Rondo, Particular Reel

デイナ・ミシェル  Dana Michel
MIKE

マリアーノ・ペンソッティ / Grupo Marea  Mariano Pensotti / Grupo Marea
LOS AÑOS(歳月)  LOS AÑOS (THE YEARS)

こうやって見渡してみると、特に強く印象に残ったのはダンスやパフォーマンス系やったなぁ・・演劇も良かったのだけど。ものすごく緻密で構成や演出が巧みでよくできていて(ウェルメイドで)舞台美術も良かったマリアーノ・ペンソッティの作品。また母国語話者の健常者(ほぼ)にあぐらかいてる観客たちを刺激する「このひとたちよくわかってないみたい」のバック・トゥ・バック・シアターも、匂いをモチーフに客席を巻き込んで不思議な世界をつくりあげた山内祥太&マキ・ウエダの作品もすごく良かったのだけど。それよりもダンスやパフォーマンスが響くというのは、こちらの(わたしという受け手側の)状態によるものかもしれんなと思ったり。

ルース・チャイルズによるルシンダ・チャイルズの1970年代の4つのピースはミニマリズム(この言葉自体は嫌いだが)のお手本のような作品でダンサーらの幾何学的な正確な動きとそれぞれの身体の微妙な揺らぎ、軌道や動きが少しずつずれて行きつ戻りつ同期したり逆になったり直行したり斜行したり交差したり並行したり(とか書いてて全然伝わってないだろうなと思う言葉の稚拙さよ)がものすごくスリリングで目が離せなかった。

ちょうどその翌日がテリー・ライリーのコンサートでしずしずというよりスタスタと橋掛かりから姿を見せたよくみる姿のテリーさんが声、詩(歌詞)、楽器で奏でるこれまたミニマリズムの精髄というべきかこの人しかできないこのとき限りの音楽に浸り(雨ざらしの席で頭からすっぽり雨ガッパ姿で見ることを強いられたのは苦行のようだったけど)。

アリス・リポル / Cia. RECの作品は本当に力強くて水・石鹸・泡・洗濯・洗浄・・といった人間の生(生活)の重要な要素であるモノたちを活かし石鹸水(人の体液のような)で滑りやすくなった人の身体が組み合わされて胎児が産み落とされるようすを思わせる動きを繰り返すところなど、どのシークエンスも印象的だった。

デイナ・ミシェルの作品は主な会場と奥の日本間や会場へつながる廊下や外部やそこここに置かれた小道具やそのあいだを演者が動きまわり意味のわかるようなわからないような動きをしたり観客(特に幼児)と一緒に動いたり、それを観客は追っかけたり追わなかったりしげしげと無遠慮に覗き込んだり遠くから見ていたり時には演者の求めに応じて助けたり助けなかったり寝そべったり座ったり・・それがなんともユーモラスで。なんだかお仕事をしているオンの時間とオフの時間があるような普通の動きであったりダンスっぽい特別な動きであったりふだんの暮らしのあれこれが異化されてこの場で共有されるのがおもしろかったです。