稍ゝおも

ややおもしろく、ややおもたく、jajaのJa,Ja,おもうこと

からだが「もの」になるとき

それにしても当事者たちは気づいていないのか、そのような画像(イマージュ)を見たことがないのか、見ていても気づかないのか、パレスチナ人らをもののように不要物のように扱い、ゴミのように運んだり捨てたり埋めたり(殺したり)するのは、前の戦争でナチスユダヤ人らのからだを扱ったのとまったく同じであることを。

イスラエルが約束の地である一方で、そこを占拠するパレスチナ人らは全員テロリストで、だから子どものうちから摘み取っていかないといけない、殲滅しなければならないという考え方が、ユダヤ人を劣等民族で世に害をなすものでしかないから全員最終処理して構わないという考え方とまったく一緒であることを。

という指摘をいろんな人がしている、世界のほぼみんながわかっているのに、その当事者らが気づいていないのか・・。

そして世界の目の前でおこなわれているこの非道をなんで世界が止められないのか、それどころか、アメリカやドイツをはじめとする西欧諸国が非道に与しているのを、まざまざと目にする、この現在よ。

みたいなことが頭から離れない年末に見た、塚本晋也の『ほかげ』の、ひとのからだのイマージュが、まさしく闇の時代に浮かびあがる「もの」としての「からだ」を描いていると感じた。

女の脚も、一の腕も、男の腕も手も、そしてつらつら並ぶ顔さえもが、「もの」でしかない時代。そこで唯一人間の顔つきをしているのが主人公の少年である。

この少年、予告篇で見たときはこの時代の子どものキャスティングとしては上品過ぎないか?可愛らし過ぎないか?とあやぶんだのだけど、それはわざわざそうしてあるのだなと。少年は逞しく生き延びるのだけど、元はきちんとした言葉遣い仕草をどこかで学んできた「上品な」人間なのだ。本来の元の意味の「品」を備えている(身分がちがうという意味でなく)。

人間が「もの」として雑に扱われ、自ら「もの」になっていく時代に「人間」としての「品」を貫くには・・?

なんて印象も入れながら簡単な詩にしたものが以下に置いてあります。よしなに

jaja84ans.blogspot.com