稍ゝおも

ややおもしろく、ややおもたく、jajaのJa,Ja,おもうこと

京都エクスペリメントなど

10月はなにやかにやとバタバタで雨中のテリー・ライリー@東本願寺能舞台をはじめ観客として参加するイベントが数多く、つまりは消費する方がいっぱいいっぱいでいろいろ日程が重なることが相次ぎ、アウトプットする方つまり自分が人前で発声したり身体表現したりという機会がまったくなかった。残念。せっかくその方面の場とか機会とか人々とかとつながりができはじめているのだから、向後はがんばって参加の機会を見つけよう。と言いつつ、京都エクスペリメント見に行ってチラシをどさっともらうと、あ、これも見たいあれも見たいとなり片っ端から予約つけていくので、消費がますます増えていくばかりなのでありました。もちろん映画も見てるしね。

先に書いたタイの作品以外に今年の京都エクスペリメントで見た演目は以下のとおり。
アリス・リポル / Cia. REC  Alice Ripoll / Cia. REC
Lavagem(洗浄)

山内祥太&マキ・ウエダ  Shota Yamauchi & Maki Ueda
汗と油のチーズのように酸っぱいジュース  Sweaty-oily Sour-cheesy Juice

バック・トゥ・バック・シアター Back to Back Theatre
影の獲物になる狩人  The Shadow Whose Prey the Hunter Becomes

ルース・チャイルズ&ルシンダ・チャイルズ  Ruth Childs & Lucinda Childs
ルシンダ・チャイルズ1970年代初期作品集  Lucinda Childs 1970s Early Works:
Calico Mingling, Katema, Reclining Rondo, Particular Reel

デイナ・ミシェル  Dana Michel
MIKE

マリアーノ・ペンソッティ / Grupo Marea  Mariano Pensotti / Grupo Marea
LOS AÑOS(歳月)  LOS AÑOS (THE YEARS)

こうやって見渡してみると、特に強く印象に残ったのはダンスやパフォーマンス系やったなぁ・・演劇も良かったのだけど。ものすごく緻密で構成や演出が巧みでよくできていて(ウェルメイドで)舞台美術も良かったマリアーノ・ペンソッティの作品。また母国語話者の健常者(ほぼ)にあぐらかいてる観客たちを刺激する「このひとたちよくわかってないみたい」のバック・トゥ・バック・シアターも、匂いをモチーフに客席を巻き込んで不思議な世界をつくりあげた山内祥太&マキ・ウエダの作品もすごく良かったのだけど。それよりもダンスやパフォーマンスが響くというのは、こちらの(わたしという受け手側の)状態によるものかもしれんなと思ったり。

ルース・チャイルズによるルシンダ・チャイルズの1970年代の4つのピースはミニマリズム(この言葉自体は嫌いだが)のお手本のような作品でダンサーらの幾何学的な正確な動きとそれぞれの身体の微妙な揺らぎ、軌道や動きが少しずつずれて行きつ戻りつ同期したり逆になったり直行したり斜行したり交差したり並行したり(とか書いてて全然伝わってないだろうなと思う言葉の稚拙さよ)がものすごくスリリングで目が離せなかった。

ちょうどその翌日がテリー・ライリーのコンサートでしずしずというよりスタスタと橋掛かりから姿を見せたよくみる姿のテリーさんが声、詩(歌詞)、楽器で奏でるこれまたミニマリズムの精髄というべきかこの人しかできないこのとき限りの音楽に浸り(雨ざらしの席で頭からすっぽり雨ガッパ姿で見ることを強いられたのは苦行のようだったけど)。

アリス・リポル / Cia. RECの作品は本当に力強くて水・石鹸・泡・洗濯・洗浄・・といった人間の生(生活)の重要な要素であるモノたちを活かし石鹸水(人の体液のような)で滑りやすくなった人の身体が組み合わされて胎児が産み落とされるようすを思わせる動きを繰り返すところなど、どのシークエンスも印象的だった。

デイナ・ミシェルの作品は主な会場と奥の日本間や会場へつながる廊下や外部やそこここに置かれた小道具やそのあいだを演者が動きまわり意味のわかるようなわからないような動きをしたり観客(特に幼児)と一緒に動いたり、それを観客は追っかけたり追わなかったりしげしげと無遠慮に覗き込んだり遠くから見ていたり時には演者の求めに応じて助けたり助けなかったり寝そべったり座ったり・・それがなんともユーモラスで。なんだかお仕事をしているオンの時間とオフの時間があるような普通の動きであったりダンスっぽい特別な動きであったりふだんの暮らしのあれこれが異化されてこの場で共有されるのがおもしろかったです。