稍ゝおも

ややおもしろく、ややおもたく、jajaのJa,Ja,おもうこと

づぼらやがっ!

今年初めてのベランダでの月見酒。半月。

当然意気は上がりません。だってベランダの月見酒が愉しいのは、昼間いろいろ仕事したりなんやかやでいろんな人と会ったりしてああしんど、疲れた〜・・でもまあいい日やったな、って一日の最後にひとりになって、ほっとして、ベランダでお月さん相手にお酒する・・ってのが楽しみだったんですもの。それがなに? 今日も、スカイプで生徒さんとお話しし、LINEとメールでおともだちとおしゃべりした以外は、リアルな世界でのしゃべりや触れ合いはなし。散歩で外に出たけど、その途上ですれちがう人たちともお互いに近寄ることを避ける。一昨日はリアルに人と会ったけど、そのときもマスク越しの会話だったもんね。お茶飲む時だけマスク取ったけど、お互いに慎重に2mぐらいの間隔をあけて・・。ああ、人と触れ合いたい!人肌が恋しい。人の肌に触りたい。変な意味ではなく(いや、変な意味であってもいいのですが・・)。誰かが「犬を飼え」と言ってた。肌に触れ合うことを許される家族がいる人はいいけど、そうじゃない人は、少なくとも毛を触ることのできるペットでもなんでも飼えと。わかるけど・・。

こないだのエントリーのあとで改めて思ったこと。東日本大震災の時でもそうだったけど、復興に大きな利権が動いて大企業は得をし上に立つ者が掠め取って下の者は搾取されるばかりだったのは、これは政権がどの政党でも関係ないよね。権力ってそういうもんよね。今日も(日付は昨日)中小企業の救済策は遅々として進まない(そのあいだに多くの企業が倒産している)うちに、大企業への補償金はぬけぬけとさっさと確保されてたってことが明らかになってたけど。利権のあるところにまず真っ先にお金が動く。これは自民党だけのことではないし日本だけのことでもないし、そういうのをいちいち全て不潔だとか言ってたらキリがないだろう。それでもやっぱりいちいち怒らないといけないと思うよ。アベノマスクはとっても見やすい象徴になるじゃない。モリカケ桜にアベノマスクか。

もひとつこないだ書いたことで。「オロオロアルク」人に共感を覚えるかといって、しかしやっぱり実社会ではオロオロ歩くばかりのデクノボーは詐欺のええ餌食になってしまうばっかりで、人から掠め取ろう毟り取ろう強奪しようとしている人々をますます増長させてしまうだけなのよね。それを憎み、被害に遭わないようにするためには、そういう強欲な人たち、利己的な人たちの、心もわからなければいけない、心がわかるためには、自分にもそういうところがごくわずかであってもなければならない。(実際、わたしが憎たらしくってしょーがない人ってのは、決まってその憎たらしい部分がわたしにある、わたしも心当たりあるような人ですもんね。)って、なんだか幼稚な心理シミュレーションやってますけど・・。

数日前のことですが、いまは直接会って話せない友人の一人から「づぼらやが」って突然LINE入る。「づぼらや!?」・・づぼらやがどうしたんだ??? で、知りました。ローリングストーンズの新曲のPV。「Living In A Ghost Town」こんな、あんた、ぴったりの曲を、こんなことになる前に作っていただなんて・・。この映像のこの撮影もいったいいつやったんや? づぼらやにかぎらず大阪けっこうちゃんと撮られてるやん。やっぱり神様のやることは・・。

散歩道その2

阪神淡路大震災のときも東日本大震災のそうだったけど、災害などの非常時、困った人がたくさんいるときに、これが好機とばかり詐欺や泥棒が蔓延る。今回も10万円だマスクだ補助金だなどをネタにして早速詐欺が横行しているらしく、もう、こういう悪人は憎むしかないのだけど、反面たくましいなぁと感心するところもある。犯罪ではなくても、他の人が混乱しているときこそ自分のチャンスだと心得て、何かと頑張る人もいるわけでしょ。今こそ儲けどきだと思う人もいれば、いまのうちに他人と差をつけておこうという人もいるだろう。そういう人たちには、うーんたくましいね、うん、頑張ってみれば?と思うよ。文句つけようがないし、そういうたくましさこそ人間の頼もしい部分でもあるとも思う。・・とは思うけど、やっぱり全面的に好きにはなれないな・・。(非難するわけではありません。単に感情的なものね。)とりわけ、そこに、他人を出し抜いて自分だけが儲けてやろう、一歩先に行ってやろうという根性が見えれば・・。むしろ、この機をチャンスだと捉えるのなら、自分のできることを考えて、今こそ他者のためになろうというのが人としてのありようではありません? もし何もできることがないのだとすれば「サムサノナツハ オロオロアルキ」でいいんだと思いますよ。

もちろんこの機に他者から毟り取って(あるいは搾取して)自分だけが儲けてやろうというのは一番卑劣な魂だと思うのだけど、それを一国の首相が平然と行うのだとすれば・・これはもう、怒りを通り越して、呆れるというか、なんともやるせない気になります。みんなもっと怒ろうよ! アベノマスクの4社目、5社目ですけれど・・。普通に考えて、実績のない得体の知れない会社にお国がそれだけ巨額の発注をするわけないでしょう。その発想が手に取るようにわかりますよ。この機だから(またいろいろ突き上げもきついから)国民のために何かしてやったぞという実績は作っておきたい。けど単にお金を出すだけなら儲けどころはない。そこで利権に群がるおともだち(普段から癒着している?思想的に仲間である?)と結託して、国費をつかって業者も政治家も美味しくたっぷり儲かる案件として、アベノマスクが出来上がったのだと・・。そう思うと、衛生的にも不潔なマスク、倫理的にも不潔で、目にすることすら嫌です。自分で使う気にならないし、せめて寄付しようかなとも思ってたけど、それももうしない。どう処分しようかしら・・(抗議のしるしにこの送りつけられたマスクつかって何か洒落たことしようみたいなアイデアない?)

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そんなことつらつら考えてると、今朝になって志賀廣太郎さんの訃報が・・。これはコロナではなかったけれど、このところの痩せぶりを見ていて心配はしていたけど、こんなに早いとは・・。この頃はテレビドラマやあちこちの映画でよく見かけるし、バーコードおじさんみたいな言われ方をしてるのも知ってるけど、わたしにとっては、青年団の舞台俳優、ものすごく正確な演技をする存在感のある俳優で、何よりも何よりもあの声の美しさ!声の好きな俳優さんたくさんいるけど、間違いなくベスト5に入ります。しかも滲み出るあの温かい人間性・・ドキュメンタリー映画作家の想田和弘さんが青年団を撮った『演劇1 演劇2』のなかで、劇団員らが志賀さんの誕生日サプライズを企てたエピソードを思い出します。もっともっと活躍して欲しかったのに・・。

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淀川の堤に出てからいつもは右へ、つまり上流側に歩くのだけど、たまには下流に向けて歩いてみようかなとすると、なんと左岸が整備工事中とのことで長柄橋から先がずっと通行止め。残念! そこで昨日一昨日は、長柄橋を渡って向こう側、右岸の方をずっと下流へ向けて歩いてみることにしました。実はこの道を通るのは初めて。

草ぼうぼうの河原が、十三大橋に近くなるにつれてきれいな葦原になり、場所によっては河畔に下りて川の波打ち際まで触ることができる。靴が泥だらけになりましたけど。長柄橋のすぐ上流を渡る阪急千里線から、下流へ向かってJR京都線、大阪メトロ御堂筋線阪急京都線宝塚線神戸線JR神戸線福知山線宝塚線)、JR東西線阪神本線阪神なんば線とたくさんの電車が渡っていて、その行き交う音がどこからでも聞こえ、どこからでも遠く電車の流れ交差する姿が見渡せる。

十三大橋まで歩いて、橋をこちら側に渡り、中津、茶屋町を通って帰って来ました。

十三大橋を渡るのは初めてではなく、十三の七藝(第七藝術劇場)と梅田スカイビルにあるシネリーブル梅田をハシゴするときなどによく通る道。でもこんな風に自宅から淀川沿いに歩いて、また街中を通って帰ってくるというのは初めて。初めての道だったから随分遠くに感じたけど、あとで距離を見てみると、そう遠くでもなかったな・・。

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散歩道

毎日10,000歩以上の散歩。ジョギングやウォーキングみたいに大きな呼吸をしながらではなく、同行者もなく、孤独に黙々と歩くだけです。自宅から歩ける範囲でいくつかお気に入りのコースができたのだけど、そのひとつ。
大川沿いから毛馬閘門(こうもん)の脇を通って淀川本流の堤に出ると、ちょうどのぼったところの堤の脇に蕪村の碑があって
「春風や堤長うして家遠し」
まさしくその通りの長い堤が目の前に広がります。

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ここに立つと体感温度がぐっと下がる。風のキツさが違うのだ。もちろんその日の天気にもよるけど、「春風」という言葉で思い浮かぶような優しい風ではなくピューピュー吹く強い風(ほかに言いようはないんかい?)。これだけ風があると、マスクなしでジョギングしてる人の息のマイクロ飛沫とやらもあっという間に拡散されてしまうだろうな。
河畔に広がる淀川河川公園に下りて、川のすぐそばを上流へと歩くと、ほどなく淀川名物「わんど」のある地帯にさしかかる。
残念ながらもう絶滅したと言われているイタセンパラが生息していたあたりね。
そのわんどを見下ろすようにかかっているのが赤川鉄橋。その名前に合わせたわけでもあるまいが、赤錆が風情ある古い鉄橋です。

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あれ?この鉄橋、はるか昔に渡ったことあったけどなぁ・・自転車であるいは徒歩で。と思ったのは記憶違いではなく、いまはおおさか東線の客車が通っているけど、それ以前は貨物線の鉄橋になっていて、それに並行して人が渡れるようにもなっていた。
自転車は、かつて(いまはもう諦めたけど)自転車ぐらいは乗れるようにしとかないと・・と淀川堤を自転車の練習道にしていた頃。
徒歩で歩いたのは、思い出したけど、かつて淀川の向こう側にある総合病院に入院してたとき。入院の徒然に(あるいは運動不足解消に)そこまで散歩しにきていたときでした。わたしの発想って昔っから変わってないなぁ・・。
その病院にはずいぶんお世話になっている。わたしはこう見えて(どう見えて?普段はむちゃ体力あって元気です)病気持ちで、これまで大きな病気を4つほどやってるけど、そのうちの3つまでこの病院の別々の科で治療を受けた。(たまたま最初の病気の時にここに駆け込んだのがご縁の始まりだったのだけど)。ここの先生方や看護師さんたちがいらっしゃらなければ、わたしなんてとっくにこの世にいない。
赤川鉄橋を散歩コースにしてたのは最後に入院してた時で、アトピー性皮膚炎のありがたくない症状に全身が襲われてた時でした。その前にお世話になったときが乳癌を手術したときで、そっちの方が生死に関わる大事態だったにもかかわらず、入院自体はわりと平気。易々と過ごしてきた記憶があるけど、むしろ肉体的に死の危険はない(精神的にはあります。辛くて自殺する人があるぐらいだから)アトピーの方がキツかったな。なんやかやでそれなりに収まるまでにまる2年ぐらいはかかったっけ。(同病の仲間にはそれよりもっとはるかに長いあいだ悩まされている人もいますけど。)全身痒くて痒くて掻き毟って眠れなくて布団が皮膚から滲み出る液(「汁」と呼んでる)でぐっしょりになったり、乾いた皮膚のかけらが剥がれ落ちる落屑で床が真っ白になったり(実はこれは現在もある。何年かおきに再発するし常に皮膚のどこかしらに痒いところがいつまでも残っていてつい掻いてしまうのです。)、一番ひどいときは顔にも症状が出てまぶたの上が腫れてお岩さんみたいな顔になったり・・。
仕事も3ヶ月ぐらいは休んだか。それでも食って行かなきゃならんので、そのひどい顔のまま復帰して仕事先の先輩に「おかわいそうに」とか同情されてたりしたけど。
入院は、だから治療のための入院というよりは、一時避難みたいな感じ。特にすることもなく毎日単調な日々を過ごすだけで、病院付属のジムは使えたけど、大して楽しいジムでもなかったので、毎日散歩するのが日課でした。
で、なんでこんな話を延々書いてるかというと、いまの状況とその当時の状況と、自分の精神状態が似ているなぁ・・と。
赤川鉄橋そのものを渡るか、下から見上げるかの違いはあるけれど。
一体いつまでこの状況が続くのか? 出口はどこにあるのか? いつあるのか? それを自分自身でなんともすることのできない無力感。いつかは脱け出るときが来るだろうと思うけど、いざ出たとしても、ちゃんとそれまでと同じ平穏な生活が送れるのか?
・・その当時にお世話になった、いえ、これまでずっとお世話になった(いまでもお世話になっている)医療の現場の方々を思い浮かべ、彼らは単にプロとして当然のお仕事をしているだけかもしれないけど、それによってわたしを含めたくさんの人たちの命を救っているよねって。
とりわけいまは、自らの命を危険に曝しながらでさえ・・本当に頭が下がります。感謝の念しかありません。(もちろん「命を危険に曝す」ことを讃美したいのではなく安全は十分に確保されなければいけませんが・・)。
こないだのエントリーで専門家会議のことを書いたけれど、専門家一人一人(メディアでよく顔を見かける方々)誠実に仕事をしていらっしゃると思う。ただそこに政治が絡んでくると、専門家のアドバイスが意図した通りには行かなかったり、むしろ害になったりもするよね。権力の側につく専門家が民に害を及ぼすことは水俣病原発の例を引かずとも明らかだし・・。

Staying Home

マスクは回収となったけど、もうええから全戸配布はやめとき。おまけに納入業者の4社目はどこだ?疑惑。なに?隠さんと安倍にとってまずいことでもあるわけ?そういう幼稚なとこがまたヘボい。それに吉村・松井・橋下の維新連中のもろもろは何?しかもパフォーマンスに騙されてか「安倍よりマシ」とか言うてる人たちも・・。これだから大阪に住んでいるのが恥ずかしい。大阪府民でも市民でも心ある人は(少なくともわたしの周辺は、あるいは直に被害を被った人たちは)決して彼らを支持しないのに・・。

それ以上に誰もがひどいと思ったであろう「発熱から4日我慢しろという意味で言ったのではない」という専門家会議の発言。4日我慢させられて死んだ(少なくとも悪化した)人たちがいるのは自分らのせいじゃないって?誰がどう聞いても「4日我慢しろ」に取れるし、もしそう思わなくても(4日経つ前に我慢できなくなっても)保健所などから実際にそう指示されてるんやん。裏付けのない未確認情報ではあろうが、新型コロナウイルスは肺だけでなく全身の細胞を冒すという記事も目にしたし、現場の医師の経験譚として、COVID-19の怖いところは呼吸困難が起こるまで悪化したらもう手遅れで、それ以前に肺の細胞が相当冒されて危険レベルにまで達していても、本人はそれほど息苦しさを感じてないことが多いとの記事も見た。みなさん、ほんまに、4日も我慢しちゃダメよ。なんとか身を護ってほしい・・。

ああそれなのにそれなのに・・本日一番びっくりしたのはゴールデンウィークだからと行楽を予定している人たちが一定数いるらしいことよ。また、吉村が実名を公開したパチンコ屋にわざわざ遠くから出向いて並んでる人たちがいるらしいことよ。この危機感のなさはなんなの? 宮古島の人の悲痛な言葉を聞いた。感染者ゼロの島に都会から観光客が押しかけると、間違いなくウイルスが持ちこまれる。小池も大嫌いだけどここは彼女の言う通り。都会の人間は田舎に行かんとこうよ。遠出せんとこうよ。緊急事態は5月6日までというけれど(仕事先も5/6の再開を予定しているところが多いけれど)、その最後の週に危機感のない人たちが無自覚にも全国にウイルスを広めてしまったら・・と思うとまた空恐ろしい。

   *

HULUの2週間無料期間の間に『ゲーム・オブ・スローンズ』をほぼ流しっぱにしているが(『鬼滅の刃』はまだ手をつけてない)、シネマテーク・フランセーズとかいろいろ見なければならないのがたくさん!

また「仮設の映画館」も既に始まっておる。見たい映画を選んで支援したい映画館を選んで有料で配信映画を見る仕組み。わたしは既に見たやつも、見逃してたやつも、これから見るやつも、いくつか見るつもりでいる。で、これから見るやつは、ここで見たとしても必ず映画館であらためて見る。そのための、場所だと信じていますよ。

www.temporary-cinema.jp

あと、加藤綾佳の企画による「配信映画祭」も楽しみ! こちらは「平成最後映画」を見逃して悔しい思いでいるだけに・・。ほかにもYouTubeとかVimeoとかで無料公開の映画多いね!

これは早速見たYouTube公開の行定勲の『きょうのできごと a day in the house』。柄本佑高良健吾永山絢斗、アフロ(MOROHA)、浅香航大有村架純と一流の俳優陣使って、この時期に、まさしくこの時期にふさわしいこんな作品作っちゃうとは!!!

リアルで俳優たちのオンライン飲み会か?と見せかけてもちろん創作ドラマであることは、彼らが共通の校歌を歌う同窓生仲間という設定ですぐわかるのだけど、グダグダおしゃべりで終わるのかな?と思わせておいて、後半の急展開が面白い。有村架純めちゃ可愛いファムファタルで、まさしくホン・サンスのキム・ミニを彷彿とさせた・・というと失礼かな? オンラインおしゃべり特有の音ズレとか不明瞭な音とか顔つきの曖昧な輪郭とかもうまく演出に使われていましたね。ちなみに彼らのおしゃべりの中に出てきた映画の中で見てなかったものは、公開延期となった一作以外は『ドラえもん』だけでしたが、皆がいい恋愛映画だと一致する『ラヴソング 』は一瞬焦った。え?香港映画?だとしたら観ているにちがいないのだが・・と(恥ずかしながら)ググってみると、ああ『甜蜜蜜』ね。そのタイトルの有名な中国の歌があって、その名前で覚えてましたわ〜・・。

あと、もちろん配信の音楽は、有料ライブも無料ライブも普通にいつもの登録チャンネルもいろいろ楽しんでいます。これも、来るべき生の音をみんなで楽しむリアルのライブのための前座として、ライブハウスもコンサートもアーティストたちもみんなちゃんと復活するためのリハーサルのひとつとして・・。しかし映像的にも音楽的にも結構イケてるのが多いな。

みなさんも家にいようね。Stay HomeともStay at Homeとも言うけど、文法的にはどちらも正解。(前者のhomeは副詞、後者は名詞扱い)。どうニュアンスが違うのかな?とこれまたググってみると、アメリカでは前者をよく使い、イギリスでは後者をよく使うのだとか。

殺される・・

近所の商店街を歩くとマスク売ってるお店が目に入るだけで5〜6軒はある。しかも2〜3日前に見かけた時より明らかに値段が下がっている(はっきり値引きを打ち出してる店もあればシラーっと別の価格を付けてる店もある)。賢い消費者はちゃんと見極めているのだ・・。もう、ほんとにあのアベノマスク、へぼいとしか言いようがない。食品の異物混入が盛んに話題になったことがあったけど、1個の商品から虫一匹出てきただけで全国に出回っている全品回収だぞ。虫程度なら胃に収まってしまえば実質的に健康被害はゼロに近いだろうけど、鼻と口に直にあたるマスクがあんだけ不衛生だと健康被害が出るぞ。目視であれほどたくさんの割合でカビや虫が見つかるんだとすれば、目に見えない細菌やウイルスがどれだけあるか、空恐ろしいことは素人でもわかる。どんだけ不衛生な環境で製造され保管されてたかということで、それを「目視で問題のあった品は取り除いてるから大丈夫」って、ラーメンに入った虫をちょいと指で取り除いてまた同じラーメン出すようなもんやん。普通の企業なら責任者がずらっと並んで「申し訳ありませんでした〜」って一斉に頭下げるレベルだぞ。傲慢かつ愚劣・・一事が万事・・ってこんなことをつらつら書き連ねていることすら情けない。これが日本という国なのか。(アベノマスクまだ届いていませんが。)

また、健康な一人暮らしの50台の男性が、一人は軽症で自宅待機の間に、一人は検査を待つ間に、急に重症化して亡くなったという話を聞く。ほら〜・・これはほんまにリアルに怖い。わたしだけでなく、知人・友人にも一人暮らしは多い。SNSなどで定期的に情報発信している人は消息わかるけど、そうでない人たちとはお互い生存確認しなければ・・。そのうちのひとりに今日LINEで言ったこと。「少しでも異変あったら遠慮してちゃダメよ。遠慮してたら殺されちゃうから」。ほんまに。COVID-19に、あるいは医療崩壊によって別の病気や事故で(手術をずっと待たされている人がいるという)、そしてまた経済的困窮で、殺される危険のある人たちがわたしを含めてどれだけいることか・・。今日になって岡江久美子さんの訃報に接したのだけれど、よく聞いてみるとこの方も最初の発熱から少し(4日間?)待てと言われ、3日目に急に悪くなって病院に担ぎ込まれたという。ほ〜ら〜おとなしく待ってたらあかんのやって!!癌の治療後で免疫力が弱くなっていたというのは後出しの言い訳だろう。それなら「待て」ではないでしょうが・・。

こうやって殺される殺されると喚きたてるのも、もちろん殺されるつもりなんかないからです。万が一わたしが死んだら、それは殺されたのだからね!・・と言っておく。

  *

向こうは家庭持ちだから独りもん同士の生存確認ではないけれど、昨日今日ひとしきりLINEでおしゃべりしたある友人と、こもりきり暮らしに効くのはやっぱりドラマの一気見よね〜って。いろいろ話題に出た中で、彼女がわたしに勧めたわたしの未見分は『鬼滅の刃』と『ゲーム・オブ・スローンズ』。前者、これに限らずアニメはわたしの弱点。後者、途中で挫折していて今や登場人物も見分けられない・・でも、見直すとすれば今しかないかな? 明日から再チャレンジしてみよう。

わたしが向こうに勧めたのは『モーツァルト・イン・ザ・ジャングル』。早速見てくれて絶賛の嵐だったのだが・・「ピッコロ奏者役のマーク・ブルームってコロナで亡くなってるんですね」って。教えられた。・・知らなかった。迂闊だった。そんな・・。

いったいどれだけの貴重な才能が、このコロナ禍で喪われるのだろう? それもまた恐ろしくて悲しい。そして命を失うまではなかったとしても、生活の基盤をなくしてしまうアーティストがどれぐらいいることだろう。藝術が殺される・・。

夕刻お散歩

連続テレビドラマではあるまいに、よくもまぁ毎日毎日新しいイラつきネタを持ってくるもんだ。10万円給付がようやく決まったと思ったら、世帯主に世帯分を給付ですって?わたしは一人世帯だからええけど、んなもん、男(夫)を世帯主にしてる家が大半な以上、一番必要としている人の手に渡らないという事態は容易に想像できる。DV夫、モラハラ夫のひとり占めかい? しかもウェブ申請でいけるかと思たら、マイナンバーカードが必要、持ってない人は郵送申請だと。嫌がらせかい!? 粗悪品のアベノマスク(せめて寄付しようと思ってたがあんな不衛生なもんを他の人にあげるわけにはいかない)は勝手に送りつけて来るくせに…。

大阪では吉村が休業要請に応じない事業所の名前を晒すという。これでまた維新の会の正体見たり。しかし逆にいえば、非常事態だからといってこの方向に(「維新の会」的なるものに)巻き込まれてはいけないということが明らかになってよかったのかも。安倍のあまりの愚鈍、無策、怠惰に対して吉村や橋下(や小池)はまだしもよくやっているという評価が、周囲からもポツポツ出始めていたときだから・・。

路上や自宅で突然死する人々の中にCOVID-19による死者が少なからぬ割合で認められる(実数はきっともっと多いだろう。交通事故で担ぎ込まれた人の肺のX線写真が明らかにCOVID-19だったけどスルーされてしまったみたいな話も聞くし)というレポートも読む。コロナ孤独死。これは切実。わたしのような一人暮らしの場合、いざ発熱などが出たときに、ガイドライン通り4日待ってから・・なんてことをしていると、軽症で済めばともかく重症になる時は一気に肺がやられて呼吸困難に陥るそうなので、あ、もうヤバい、と思ったときには既に手遅れで助けを呼ぶ暇もないかもしれない。(と、これはほんまにリアルに怖い。)

このところインスタを毎日のように更新しているけど、これはいわば生存確認みたいなもんね。毎日散歩していると何かしらiPhone(のカメラ)を向けたくなる対象があるし・・。夕刻のお散歩が日課なり。毎日7kmは歩いている。

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ソーシャル・ディスタンス?

口を開けば腹立つことしか言わん副総理とか、国民の生活支援策の方は遅々として進まないのに検事長定年延長ナドは超速で通してしまったりとか、マスクは白でないとダメという企業や学校とか、ライブハウスがネット配信すると営業中と見なして休業補償しないとか・・何かとイラつくニュースばっかりですが・・まぁ日本のことだけでなく、トランプのアメリカとかも無茶苦茶だし世界中が混乱に陥っていますけど・・。その中でも比較的うまくやれているという評価のある韓国とか台湾とかを、その中のうまくやれてる部分だけでもなんで見習えんかね?と思う。すべてが一段落ついてから世界的に歴史的評価は定まってくるんだろうけど(その中にも隠蔽や歪曲や捏造や誇張やいろんな事実の書き換えはあるんだろうけど・・)。

医療現場から上がってくる体験譚、実際に感染した人の体験譚とか読んでると、心底恐ろしい。医療従事者の命はものすごく軽く扱われているし(特攻隊か?)、不運にも感染した人もなかなか検査してもらえないとか受入先の病院が見つからないとかものすごく高額な費用が伴うとか、これは下手すると殺されるぞと恐怖しかない。

一方、この週末はどうも人々の気が緩んでいる(自粛疲れ?)ような気がする。ニュースなどに映し出される都心の繁華街とか著名な観光地とかは確かに閑古鳥かもしれないが、近隣の商店街や公園など、ちょっと人出が多過ぎるのではないか? 時間帯にもよるのかもしれないが、土曜日午後に買い物に出かけたウチの近所の商店街・市場・スーパーは、え?とびっくりするぐらい人がいっぱい。ヨーロッパのスーパーが入店制限して客同士のソーシャル・ディスタンスを保っていると報道されてるのとは大違いで、他の買い物客とそんな距離を保ってられる人口密度ではない。しかもそのうちの少なからぬ割合がマスクなしで大口開けて笑ったり喋ったり・・そういう人とはなるべくすれ違わないように周囲に気を配りピリピリしながら歩くしかない。これからは散歩も買い物も時間帯に気をつけて、できるだけ人を避けるようにしよう。

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家ではU-NEXTの無料期間があともう少しなので、見逃していた日本映画とか日本のドラマの一気見とか。ふだん地上波を見ないのでドラマはどうしても見逃してることが多い。この機会に。(しかし一気見は疲れる)。ドラマはどうしても脚本中心になってしまうので、他のことをやりながら聞き流すことも多いけど、それにしてもそれにしても、これは映画でもそうかもしれないけど、これっていまのコロナの時代では成立しないよなぁ・・というシーンだらけ。幾人かで寄り集まって食事しながらおしゃべりしたり、居酒屋やバーでしみじみ語りあったり、どういう単位であれ二人が至近距離で言葉を交わしたり・・そういう時に発せられる台詞がすべてドラマになるわけだけど、これって、すべて濃厚接触になっちゃうやん。もちろん映画的に「恋愛」の至上表象となる、恋人同士のあいだの距離がゼロになる瞬間「キス」シーンはもちろんのことね。

最小単位のカップルであれ家族であれ、この自粛期間であっても濃厚接触は仕方ないとお互い許し合える相手のある人は幸いなるかな。わたしみたいな一人暮らしは、気軽に友達を呼び出すことすらかなわない。仕事でどうしても会わないといけない人とはマスク姿による会談、あとはSkype面談、知人や友人たちとはSNSとかメールとかによるヴァーチャルおしゃべりのみ・・。もともと孤独が好きな(人疲れする)わたしでさえ、キッツイなぁと思うのに、それは、もう、こんな時期に結婚したいと望む人たちが多くなるのもわかりますわぁ・・。その一方でDVの深刻化が問題になるのもわかる。コロナ結婚、コロナ離婚、コロナDV、コロナ孤独死・・いずれもなんだかなぁ・・。これもまた、何年か先に歴史的評価が定まるんだろうか・・。

写真は近所の八重桜。染井吉野が終わると枝垂桜に八重桜。大阪では造幣局の桜が有名だけど、もちろん今年の通り抜けは中止。散歩客が柵の外からスマホや携帯のカメラを向けています。

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