阪神淡路大震災のときも東日本大震災のそうだったけど、災害などの非常時、困った人がたくさんいるときに、これが好機とばかり詐欺や泥棒が蔓延る。今回も10万円だマスクだ補助金だなどをネタにして早速詐欺が横行しているらしく、もう、こういう悪人は憎むしかないのだけど、反面たくましいなぁと感心するところもある。犯罪ではなくても、他の人が混乱しているときこそ自分のチャンスだと心得て、何かと頑張る人もいるわけでしょ。今こそ儲けどきだと思う人もいれば、いまのうちに他人と差をつけておこうという人もいるだろう。そういう人たちには、うーんたくましいね、うん、頑張ってみれば?と思うよ。文句つけようがないし、そういうたくましさこそ人間の頼もしい部分でもあるとも思う。・・とは思うけど、やっぱり全面的に好きにはなれないな・・。(非難するわけではありません。単に感情的なものね。)とりわけ、そこに、他人を出し抜いて自分だけが儲けてやろう、一歩先に行ってやろうという根性が見えれば・・。むしろ、この機をチャンスだと捉えるのなら、自分のできることを考えて、今こそ他者のためになろうというのが人としてのありようではありません? もし何もできることがないのだとすれば「サムサノナツハ オロオロアルキ」でいいんだと思いますよ。
もちろんこの機に他者から毟り取って(あるいは搾取して)自分だけが儲けてやろうというのは一番卑劣な魂だと思うのだけど、それを一国の首相が平然と行うのだとすれば・・これはもう、怒りを通り越して、呆れるというか、なんともやるせない気になります。みんなもっと怒ろうよ! アベノマスクの4社目、5社目ですけれど・・。普通に考えて、実績のない得体の知れない会社にお国がそれだけ巨額の発注をするわけないでしょう。その発想が手に取るようにわかりますよ。この機だから(またいろいろ突き上げもきついから)国民のために何かしてやったぞという実績は作っておきたい。けど単にお金を出すだけなら儲けどころはない。そこで利権に群がるおともだち(普段から癒着している?思想的に仲間である?)と結託して、国費をつかって業者も政治家も美味しくたっぷり儲かる案件として、アベノマスクが出来上がったのだと・・。そう思うと、衛生的にも不潔なマスク、倫理的にも不潔で、目にすることすら嫌です。自分で使う気にならないし、せめて寄付しようかなとも思ってたけど、それももうしない。どう処分しようかしら・・(抗議のしるしにこの送りつけられたマスクつかって何か洒落たことしようみたいなアイデアない?)
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そんなことつらつら考えてると、今朝になって志賀廣太郎さんの訃報が・・。これはコロナではなかったけれど、このところの痩せぶりを見ていて心配はしていたけど、こんなに早いとは・・。この頃はテレビドラマやあちこちの映画でよく見かけるし、バーコードおじさんみたいな言われ方をしてるのも知ってるけど、わたしにとっては、青年団の舞台俳優、ものすごく正確な演技をする存在感のある俳優で、何よりも何よりもあの声の美しさ!声の好きな俳優さんたくさんいるけど、間違いなくベスト5に入ります。しかも滲み出るあの温かい人間性・・ドキュメンタリー映画作家の想田和弘さんが青年団を撮った『演劇1 演劇2』のなかで、劇団員らが志賀さんの誕生日サプライズを企てたエピソードを思い出します。もっともっと活躍して欲しかったのに・・。
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淀川の堤に出てからいつもは右へ、つまり上流側に歩くのだけど、たまには下流に向けて歩いてみようかなとすると、なんと左岸が整備工事中とのことで長柄橋から先がずっと通行止め。残念! そこで昨日一昨日は、長柄橋を渡って向こう側、右岸の方をずっと下流へ向けて歩いてみることにしました。実はこの道を通るのは初めて。
草ぼうぼうの河原が、十三大橋に近くなるにつれてきれいな葦原になり、場所によっては河畔に下りて川の波打ち際まで触ることができる。靴が泥だらけになりましたけど。長柄橋のすぐ上流を渡る阪急千里線から、下流へ向かってJR京都線、大阪メトロ御堂筋線、阪急京都線・宝塚線・神戸線、JR神戸線・福知山線(宝塚線)、JR東西線、阪神本線、阪神なんば線とたくさんの電車が渡っていて、その行き交う音がどこからでも聞こえ、どこからでも遠く電車の流れ交差する姿が見渡せる。
十三大橋まで歩いて、橋をこちら側に渡り、中津、茶屋町を通って帰って来ました。
十三大橋を渡るのは初めてではなく、十三の七藝(第七藝術劇場)と梅田スカイビルにあるシネリーブル梅田をハシゴするときなどによく通る道。でもこんな風に自宅から淀川沿いに歩いて、また街中を通って帰ってくるというのは初めて。初めての道だったから随分遠くに感じたけど、あとで距離を見てみると、そう遠くでもなかったな・・。