怪物2題
『LORO 欲望のイタリア』
it.wikipedia.org何かとトランプを先取りしていたイタリアの悪名高き前首相ベルルスコーニSilvio Berlusconi をモデルに描いた作品だけど流石のソレンティーノ、冒頭真っ白な子羊は犠牲にされるイタリア国民を暗示しているか、そして俗と背徳の極みたるエロシーンから始まって、ある種、聖的な荘厳さを感じさせるラストシーンに至るまで、ベルルスコーニ治世のイタリアの狂躁を、実に官能的で耽美で不道徳で(なんせ沢尻エリカ様がたった数mg?だっけ?で逮捕されたMDMAなんて空からキャンディーみたいに、あるいは情緒を交換価値とする貨幣のように、バラバラ大量に降ってくるんですもん)、だからこそ実に魅惑的な持続として描いてみせます。主人公そのもののパーソナリティも周囲の人物らとのいくつかのエピソードを重ねて褒めもせず苦にもせずあたかも舞台で役を演じる俳優そのもののように見せる。(特殊メイクしたトニ・セルヴィッロToni Servillo はその顔に笑顔がずーっとかたまって貼りついてあたかもイタリアの仮面劇コンメディア・デラルテCommedia dell'arteのお面みたいだ)。ベルルスコーニは実際、若いときはアニマトーレanimatoreとして活躍したことがあると、イタリア語の先生に教えてもらいました。アニマトーレとは、パーティー会場やリゾート地や小さな舞台などを回って歌うたったりダンスしたり寸劇演じたりして人々を楽しませる商売。必ずしも笑わせるだけのコメディアンとはちょっと違うのだそうです。え?政治家になってもそれやったんちゃん?って。
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『アイリッシュマン』
en.wikipedia.orgほんとにもう、このNETFLIXという怪物そのものをなんとかして欲しい。1週間限定なもんで万障繰り上げてなんとか映画館で見る時間帯を確保したわよ。
こちらはソレンティーノとは対照的に官能の耽美にひたることなく、引き締まった緊張の演出で見せる。殺し屋たる主人公のその殺しのシーンのどれも簡潔で見事なこと! たとえば某重要人物の暗殺というクライマックスシーン、殺すぞ殺すぞ、と観客みんなわかっていて息を詰めて事態の推移(ショットの積み重ね)を見守るのですが、その瞬間は不意打ちのようにあっさりやって来て、稠密な映画の時間の流れのなかにその驚きの瞬間を確かに刻むのでした。
ロバート・デ・ニーロ Robert De Niroは同じくスコセッシMartin Scorseseの『グッドフェローズ』Goodfellas (1990) でもアイリッシュ系を演じてたよね。おおそういえばジョー・ペシJoe Pesci も出とったね。しかしなんと肌触りの違うこと!正直言ってデニーロもぺシもその他もろもろのスコセッシお馴染みの俳優らも「おお年取ったなぁ」が先にやってくるのですが、やっぱりアンサンブル見事です。
ユニオンとマフィアの癒着って、わたし無知であまり知らなかった。そういえば山口組も神戸港の港湾労働者を束ねたところから始まってると聞いたことあるけど、根っこでは通じるところがあるのね。
映画みた日、無性にパフェが食べたくなって仕事の移動の合間に15分でチョコパフェ食った。で、その晩にはああいうタイプのパンを赤ワインに浸してぜひ食べたかったけど、無念にもパンが手に入らず・・。食べるものへの執着ってある種、宿命のようにその人その人に貼りついているなぁ・・とも思ったり。
上記二つの映画で、事態を(その爛れた人間関係を/狂躁の渦を)ただひとり冷静に見つめるのがどちらも若く賢くイノセントな娘であるところもまた面白い。