稍ゝおも

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映画がお寺に勝った!

『薄氷の上のゼン』Zen sul ghiaccio sottile

historica-kyoto.com

Zen sul ghiaccio sottile - Wikipedia

京都ヒストリカ映画祭、いつもなかなか参戦できないけど、イタリア文化会館のご縁もあって昨日のこの作品だけ鑑賞しました。
主人公がすごく魅力的で、思春期後期の過剰な自意識や周囲との葛藤、他者への愛着、その愛がちょっと捻じて縺れて起きてしまったちょっとした事件・・と見どころ満載でした。ファナーノ FananoというエミリアロマーニャEmilia Romagna州の小さな町を舞台にしているんだけど、もともと原作(これも監督本人作)がアルプス地方の田舎町を想定していたのが、製作準備の過程でアペニン山脈にあるこの町が浮上し、たまたまその町が(小さな田舎町にもかかわらず)大きなスケートリンクがありアイスホッケーも盛んだということで、もうひとつのモチーフであるアイスホッケーが取り入れられたとのこと。学生を演じる子たちも地元でオーディションしたとかで、その地方の訛りや独特の言い回しなど、イタリアの地方の町の若者たちの姿がリアルに捉えられていました。映画学校卒業したての若い女性監督がこれほど力のある作品を撮ることに素直に感動。
LGBTQ映画という触れ込みだったけど、その部分でなんらかの結論が(つまり性的自認や性的指向の特定が)示されるわけではない。監督がfluido(英語でfluid)(=流体)という言葉を使ってたけど、ひところのように例えば「私はMtFでL」とか決めつけてしまうのではなく、性的自認も指向も流れ動くものであっていいのだと、映画の中で主人公が鏡を見ながら「わたしはZEN」とひとりごつように、わたしはわたし。LGBTQとかわざわざ区分して言うのでなく単に「Q」だけでいいのではないかとあらためて思わせました。
もひとつ。監督マルゲリータ・フェッリ Margherita Ferriと主演女優エレオノーラ・コンティEleonora Contiが出席したアフタートークで観客からの質問を受けたときのこと。最初に質問に立った白髪の素敵な紳士が(京都文博は普段からオールドファンが多いのよ!)、「今日はお寺めぐりでもしようかと家を出たところ、ふとこの映画のポスターが目に止まり、こちらに伺いました」(正確な文言ではありませんが)みたいなことをおっしゃり、この映画を見てトニー・リチャードソンTony Richardsonが撮ったイギリス映画『長距離ランナーの孤独』The Loneliness of the Long Distance Runner (1962) (アラン・シリトーAlan Sillitoeの原作小説も有名ですね!)を思い出したと。あちらは男性二人を描いた作品だったけれど、こちらの女性二人に通じるところがあったみたいな感想を述べられたんですね。それに対する監督の反応もまた素晴らしかった。イタリアの片田舎の女の子二人のことを描いた作品が、そんなふうに別の国、別の性別、別の年代に通じるところがあるというのが嬉しい。また(あなたのように)日本に暮らす、世代も性別も異なる観客の心に訴えたところがあったのも嬉しかったと。一地方に住まう個人の個別のドラマを描きながら、そういうふうにユニヴァーサルに(普遍的に)通じるところがあるのが、映画の何よりの魅力ではないか、と。(実はわたしも高校生に「普遍」の概念を説明するとき、USJの話から「ユニバーサルスタジオ」の話をします。なお「普遍」と「一般」とは異なる概念だからね)。さらに通訳の中井美訪子先生(イタリア文化会館の講師のお一人でイタリア映画祭などの名通訳さんでもあります)が、「映画がお寺に勝った!」と言い、質問者の方もそれを追認して、アフタートーク後のロビーで監督と主演女優がその質問者の白髪紳士を挟んで「映画がお寺に勝ったぞ!」と雄叫びをあげながら記念撮影をするという微笑ましい情景もありました。