稍ゝおも

ややおもしろく、ややおもたく、jajaのJa,Ja,おもうこと

家という表象(1/2)・・オオカミの家

チリという国は、アメリカのいわゆるジャカルタ・メソッドのせいでホントにひどい目に遭っている。こういう歴史を生き延びてきていると表現者もそりゃあ一筋縄ではいかないよなぁ・・と、幾人かのチリの監督( Patricio Guzmánとか・・)思い出し。

昔むかし

『サンチャゴに雨が降る』Il pleut sur Santiago(1975) Dir : Helvio Soto Stars : John Abbey, Jean-Louis Trintignant, Bibi Andersson

という映画があり、それでチリ情勢知った程度だったけど、その(共産主義アジェンデ政権をクーデターで倒した)軍事独裁ピノチェト政権下で、ナチス残党が作ったという「コロニア・ディグニタ」の存在も

『コロニアの子供たち』Un lugar llamado Dignidad(2021)  Dir : Matías Rojas Valencia

という映画で最近知ったばかり。

そしてこれもまたそのコロニーをモチーフにしているという

『オオカミの家』La Casa Lobo(2018)  Dir : Joaquín Cociña, Cristóbal León

ちょっともう噂に違わぬ凄さでしたわ・・同じ二人の監督による短篇

『骨』Los Huesos(2021) もまた・・。

「オオカミの家」とはコロニーの家そのものでもありコロニーを逃れてきたマリアという主人公のつくる家でもありそのマリア自身のからだでもあり。マリアの独白、その家またはマリアを取り巻き監視し呼びかけるオオカミの言葉・・ときにはスペイン語でときにはドイツ語で語られる・・。

アニメーション表現そのものとしても傑出している。家の壁だったり床だったりに直接描かれた絵の展開(立体的な目眩し)、その空間の中に置かれたほんまに立体の人形だったりオブジェだったりの動きや変化。それが、家そのもの(あるいはマリアの身体そのもの)が生成したり転移したり変化したり崩れ落ちたり焼かれたり、その中に癌のように異物が育っていったり(それは2頭の豚が変化した娘と息子だったりマリアそのものの自己像だったり)これもまた生成したり膨張したり変異したり崩れ落ちたり・・そのいっときも恒常な状態を維持することなく変化し続ける(そしてあたらしい状態を招き寄せる前にかならず崩れ落ちる)、意味を考える余地なく次々と繰り広げられる展開に瞠目する。「家」そのもの「からだ」そのもの、そしてその変転そのものがひとつの終わらない悪夢のように・・。

オオカミがドイツ語で唄うブラームスの「眠りの精」も美しいだけによけい恐ろしい。(『コロニアの子供たち』でもよく知られたドイツ語の讃美歌が歌われるのだけどそれもまた美しいだけに恐ろしい)。ドイツ民話の眠りの精は砂粒を子どもたちの目に撒いて子どもたちの瞼を閉じさせるというのだが、その伝説そのものも、ちょっと最初聞いたときは恐ろしく感じたものです。眠らせようとする暴力的な魔法のなかでの終わらない悪夢・・。

もうひとつ言及したい映画があったのだがそれはひとまずここまでにしとこう。