稍ゝおも

ややおもしろく、ややおもたく、jajaのJa,Ja,おもうこと

殺戮、狂気だけではない

ある映画館の看板より
「殺戮、狂気だけではない、感動作もたまにやる !!
 黒人演奏家と用心棒、
 地獄で咲く友情物語 !!」
さてどこの映画館の、何の映画の看板でしょう?

「黒人演奏家と用心棒」で、(この映画を既にご存知の方なら)見当つくかもしれないが、この映画について全く知らない人は、この看板を見てどういう映画を想像するのだろうか・・?
でも、いいキャッチフレーズだと思いませんか?
言葉にリズムがあって(昔ながらの映画のキャッチのリズムだ!)思わず乗せられて入ってしまいそう!
で、どこの映画館かというヒントはもちろん「殺戮、狂気だけではない、感動作もたまにやる !!」の部分ですよね。
すっごく興味があるのですが、残念ながら、わたしこの映画館に入ったことはありません。場所は知ってて通りかかったことはなんどもありますが・・。
とか書いてると追加情報が・・。この映画館のキャッチフレーズでは「2週に一度は『地獄』が飛び出る」んだそうです(笑)。

ついでにもひとつネタ、イタダきます・・(すんません。って誰に謝ってるんや)
同じ映画館でのエピソード。
ポスター文案に【空中大決戦!】とあったところ、ゲラ刷りでは【空調大決戦!】となっていたそうです。
それを見た担当者の上司がすかさず一言。「ダイキン東芝の闘いやな」。
笑い転げました。

冒頭のクイズの正解はまた明日。

若き女性監督

とか書いてたら、今日見た映画のなかのある日本映画にも「キラキラ星」のモチーフが・・。ひょっとしてよくあることなのか?まさか流行りではあるめえ? ただ一昨日見たフランス映画ではちゃんと曲として重要な場面に用いられていたのに対し、こちらのは重要な場面ではあるけれどちょこっと音楽のなかにモチーフが用いられていただけでした。その映画も、若い女性監督の映画。もひとつ見た日本映画も、若い女性監督の映画。それぞれにそれぞれの映画話法を獲得していて、見応えがありました。

ただ、穐山茉由『月極オトコトモダチ』は楽しく観たけれど、山戸結希『ホットギミック ガールミーツボーイ』はちょっと心がザワザワする、いわば観客を挑発するタイプの映画でしたかね? 原作の少女マンガの世界観がそうなのか? それとも監督の世界観なのか? いや、この映画のセールスポイントであるらしい乃木坂46堀未央奈(知らんかったけど)の可愛らしさは言うことないのですけど・・。

女の人生?

日曜日。行きしなに「蛙の歌」の話してたら行った先のコンサートで「蛙の歌」の演奏がある。そこで「キラキラ星」の話してたら、今日見た映画のなかで「キラキラ星」の曲が流れておる・・。なんの映画とは申しませんが・・ニコール・ガルシアNicole GARCIAが素敵な老い方をしておられました。
そのあと京都に移動し、半年先まで予約満杯という人気店で、半年前に予約したお酒を飲んでたのですが、お店の店主含めその場にいた女3人分の人生がそれぞれに波瀾万丈で・・。そこにいたなかではわたしと同じく波瀾になりようもない人生歩んでいる女友達曰く「このグループにいると女の人生なんでもありと思わされるわ〜」。確かにその場にいなかった数人も含め、この同じグループにいる女性たちの人生、みな一筋縄ではいかないものばっかりなのでした。いや、それを基準に集めたわけでもなんでもないのにね。

ちなみにこのたびの京呑みを企画してくれたその「グループ」発言の女友達、本業のほかにもさまざまな活動していて趣味も豊富で、行った先々で「グループ」をつくっている。それぞれのグループに集まる人々の傾向も聞くと面白かったです。〇〇グループの女性たちは裕福な専業主婦が多い・・とかね。そういう行った先々グループみたいなお付き合いの広がり方っていいなとも思いました。

・・ってまったく情報量のないエントリーでしたね。そのお店に掲げてあった看板が、そういえばわたしの実家にもあったような看板で、こういうのをちゃんと残して商売にしているのがやっぱり京都と思われました。

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京都若松屋

 

旅のおわり世界のはじまり

果物のなかでさくらんぼがいちばん好き。季節になったら買いまくるのだけど、わたしは貧しいのでなんでもハシりのうちは買いません。旬になって十分に値段が下がってからしか買わない。今年は今朝初めて買いました。山形産の佐藤錦。例年に比べてちと遅かったな・・。

tabisekamovie.comやはり黒沢清と組んだ『Seventh Code』のときひしひしと感じた。あっちゃんってかつてはAKB48のイメージしかなかったので、これほどvulnerableで繊細で臆病で(犠牲者のようで)それでいて唐突で無鉄砲で図太くて(図々しい闖入者のようで)危なっかしい前田敦子から目が離せなかった。この作品でも、そんな彼女の魅力が全開。そこにいて、なんらかの言動をするだけで、映画が尾いてくるという感じでした。
ちなみにわたしも旅行(特に海外旅行)が好きだけど、なんだかおんなじような旅をしているかなとも思いましたよ。わたしが旅に行くのは、知らない街の知らない空の下で初めての空気を吸ってみたいということが第一の目的であって、あまり下調べせずに行って、その街を足の向くまま気の向くままほっつきあるく。それで素敵なところを発見できればラッキー。たまに危ないところに足を踏み入れそうになって慌てて逃げる。なにか一回かぎりの出来事に出会えたらこのうえないと期待する。(もちろんそう上手くはいかず大抵の場合は普通の旅行者あるいはそれ以下の無知な旅行者程度の体験しかできないのですけど。)
現地の人や習慣には基本できるだけ合わせる。(わたしの親しい日本人にも、海外のどこの旅先へ行っても自分流を貫き現地で自分の要求を主張して通すことが旅慣れた旅行者だと心得ている人がいる。「日本人はおとなしすぎるから(自己主張しなさ過ぎるから)」と言うそのやり方ももっともだけど、わたしにはようせんな・・)。あと本作でも戯画的に描かれていた札束で頬引っぱたくようなやり方は、これは海外に限らず(海外と日本で3度実体験しましたが)日本のTVクルーの傲慢な態度そのもので、札束というよりはむしろ業界人から一般人への「TVに出させてやってる」みたいな上から目線がめちゃ嫌ですねえ・・。
話が逸れた。そんな旅の仕方してると、素敵なところに出逢っても、不思議な体験に遭遇しても、そのときその場ではその意味がわからず、あとから遡及的にあそこはそうだったんだ・・と気づくことがしょっちゅうあって、今回の前田敦子が出逢う「劇場」もそうでしたよね。そんな時にはいつでも、そうだったのか!ではそのことがわかったうえでもう一度訪ねてみなければ・・と思うのですが。
実は、いつもいつも生きているかぎりそうなんだけど、旅をしてるときは特にそのことを意識する。この瞬間この場でわたしが(わたしにかぎらず誰でもすべての個人が)体験していることは、この場この時限りの特別な瞬間である。と、同時に、旅をしていてしみじみ感じるのは、その時その時のその場かぎりの特殊な瞬間が、世界の普遍的な真実にふと通じてしまうことがある。その、クラクラとする感覚、こそが「世界のはじまり」なのではないか。
あっちゃんが、というか映画の中でミュージカル女優を目指す三流タレントが、やっぱりこの程度ではミュージカルの主役を張るのは無理だろうなと思わせる素の歌を披露する山上シーンは、そういうちょっと意地悪なリアリティを留保しつつ、映画の肌触りとしては全く異なる『サウンド・オブ・ミュージック』The Sound of Music のラスト「すべての山に登れ」Climb Ev'ry Mountain の歌われるシーンの解放感を彷彿とさせ、閉じ込められていた世界から、自由を目指して脱出するこのうえなきハッピーエンドとも見えたことでした。

ロゴスとイマーゴとソキウスの結節点

moviola.jpどこかで誰かが解説してたら屋上屋を架す話ですみませんが、Ex Libris とは(どこかしらの)「書庫」Librisから「出たもの」Ex という意味で、昔よく書籍の奥付のところに貼ったりハンコ押したりしていた「蔵書票」(この本は誰某の所蔵なり)というやつ。図書館では「この図書館の所蔵なり」を示すために本に貼っておく書票の意味になるようです。この映画のタイトルは、その元々の意味と、もひとつ Libris「図書館から」Ex「外へ出て」という意味も含まれているような気がします。映画の中でも誰かが熱弁振るってたように、Biblioteca は多くの西洋言語で「図書館」を意味しますが、語源的にも単に本「Biblio」を「置いとくとこ」teca という意味の単なるBibliotecaではなく、積極的にEx Librisを目指して、リチャード・ドーキンス Richard Dawkins の記述する進化し行動する生物のように活動するニューヨーク公立図書館のありようを生き生きと捉えてますね。
図書館とは、いわば、ロゴスLogos(ことば)と、イマーゴ Imago(イマージュ)(すんませんどうやっても日本語にならず)と、Sociusソキウス(仲間ー社会)の集約されるところであり、結節点であり、それは、図書館にかかわるすべての人一人ひとりの顔であり表情であり姿であり、言葉や活動であり、また、ニューヨークのいまの姿、本館・分館のある街々の表情、有名なライオン(世界で何番目に有名なライオンさんでしょうか?)であり・・。
父の話をし「必要なtrouble」の話をするエルヴィス・コステロ Elvis Costelloも、愛おしそうにジャン・ジュネ Jean Genet を語るパティ・スミス Patti Smithも、マグローヒル McGraw‐Hill,Inc.,社の教科書の酷さを語るカリル・ジブラーン・ムハンマドKhalil Gibran Muhammad も、「何かをしている犬」も、あらゆるロゴスやイマーゴそのものがわたしにとって貴重なものだらけだったのですが、個人的にはユセフ・コマニャカア Yusef Komunyakaa のことばが心に残りました。わたしの貧弱な聞き取り能力からして自信がないのですが、詩人の宿命について語るなかで cursed ということばを使ってたと思う。そうよね!詩人を名告る者の端くれとして世界にどう関わっていくのか、そのありようを喚起されたようで、とても勇気づけられました。

六甲山ハイキング

ちなみにわたしは基本運動音痴でインドア派で部屋でぐだぐだしているほうが好きなナマケモノです。

中学高校時代、学校が阪神間にあったもので、六甲山や甲山はイヤというほど登らされました。耐寒登山とか大嫌いだったなぁ・・・

そんなわたしが今年から始めた趣味が登山というのはなにか(古文の常套表現でいえば)前世からの縁(えにし)でもあったのでしょうか・・? 一人ではぜったい無理だもんね。先導者がいてくれたのです。

その先導者に連れられて行った二度目の登山が今日の六甲山。芦屋川から入って芦屋のロックガーデンでちょっとだけ岩登りを体験いたしましたですよ。

いまの六甲山(そして神戸の山の手は)「イノシシ注意」の看板があちこちにあるのですけど、きっちり小さいやつに遭遇しました。

道道では、鶯に不如帰、とっても美しく鳴く(弁別できない)たくさんの鳥たちの声が聴こえ、草むらでは虫たちもいっぱい鳴いていて、山の高みからは大阪湾の光景が見下ろせて、素晴らしい一日になりました。

先導者さまからは「二度目にしては歩きがしっかりしていて速い。スタミナもある」とお褒めいただき、うーんわたしはどういう方向に行ってしまうのでしょうか・・?

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ジム・その他

ジムのプログラムでほかに好きなのは格闘技系。もちろん本格的に格闘技やるわけではなく、ボクシングやムエタイ太極拳やいろんなマーシャルアーツの動きを取り入れたエクササイズね。でもパンチとかキックとかスカッとして、ずっと以前の(わたしが好きだった)インストラクター氏が言ってたように「殴ってやりたい相手がいる人はそのひとの顔を思い浮かべて」(笑)やってます。(嘘です。わたしはいたって平和主義者です。)

あとはヨガとかピラティスとかコンディショニングとか。ヨガは先生による。説教臭い先生とかやたらキツい姿勢をさせる先生はダメ。ほどほどにリラックスできて楽しめるのが良いのです。

いっときは(ジムに通い始めた当初は)やってたけど最近トンとご無沙汰してるのが筋トレ系。バーベルとか各種器具をつかって負荷をかけてやるやつね。同じ理由でマシンジムのマシンもトンと使わなくなった。使うとすればエアロバイクかウォーキング(ランニング)マシンぐらいだけど、そんなもん普通の生活で街歩きする方が楽しいやんとか思っちゃう。このごろ24時間営業でマシンを好きにつかえるジムとかあるみたいだけど、わたしには向かないな。マシンに向かって黙々と自己鍛錬みたいのがわたしには合わない。

ダンス系の仲間のみなさんも、筋トレ系のプログラムは軒並み「要らないよね〜」と同じ意見。好みはやっぱ一致するようで・・。

ただ、ダンスのレッスンでも格闘技系のプログラムのなかでも、筋トレはもれなくついてくるのよ。またヨガでもけっこう筋肉つかうポーズがある。トレーニングにはなってるんだとおもいます。

そもそも痩せるためとかフィットネスのためとかでなく、健康増進のためとかでもなく、ましてや筋肉つけたいとかそういう目的でもなく、楽しみのためだけのジム通いだからそれで良いのです。

あとは水泳。体調の問題とかあってここ数年遠ざかってたんで、またそろそろ始めよかな。ただこのごろプール行くひと見るとみんなトレーニング仕様の水着を着たはる・・。わたしは普通の水着しか持ってないのでちょっと恥ずかしいというのもある。