稍ゝおも

ややおもしろく、ややおもたく、jajaのJa,Ja,おもうこと

旅のおわり世界のはじまり

果物のなかでさくらんぼがいちばん好き。季節になったら買いまくるのだけど、わたしは貧しいのでなんでもハシりのうちは買いません。旬になって十分に値段が下がってからしか買わない。今年は今朝初めて買いました。山形産の佐藤錦。例年に比べてちと遅かったな・・。

tabisekamovie.comやはり黒沢清と組んだ『Seventh Code』のときひしひしと感じた。あっちゃんってかつてはAKB48のイメージしかなかったので、これほどvulnerableで繊細で臆病で(犠牲者のようで)それでいて唐突で無鉄砲で図太くて(図々しい闖入者のようで)危なっかしい前田敦子から目が離せなかった。この作品でも、そんな彼女の魅力が全開。そこにいて、なんらかの言動をするだけで、映画が尾いてくるという感じでした。
ちなみにわたしも旅行(特に海外旅行)が好きだけど、なんだかおんなじような旅をしているかなとも思いましたよ。わたしが旅に行くのは、知らない街の知らない空の下で初めての空気を吸ってみたいということが第一の目的であって、あまり下調べせずに行って、その街を足の向くまま気の向くままほっつきあるく。それで素敵なところを発見できればラッキー。たまに危ないところに足を踏み入れそうになって慌てて逃げる。なにか一回かぎりの出来事に出会えたらこのうえないと期待する。(もちろんそう上手くはいかず大抵の場合は普通の旅行者あるいはそれ以下の無知な旅行者程度の体験しかできないのですけど。)
現地の人や習慣には基本できるだけ合わせる。(わたしの親しい日本人にも、海外のどこの旅先へ行っても自分流を貫き現地で自分の要求を主張して通すことが旅慣れた旅行者だと心得ている人がいる。「日本人はおとなしすぎるから(自己主張しなさ過ぎるから)」と言うそのやり方ももっともだけど、わたしにはようせんな・・)。あと本作でも戯画的に描かれていた札束で頬引っぱたくようなやり方は、これは海外に限らず(海外と日本で3度実体験しましたが)日本のTVクルーの傲慢な態度そのもので、札束というよりはむしろ業界人から一般人への「TVに出させてやってる」みたいな上から目線がめちゃ嫌ですねえ・・。
話が逸れた。そんな旅の仕方してると、素敵なところに出逢っても、不思議な体験に遭遇しても、そのときその場ではその意味がわからず、あとから遡及的にあそこはそうだったんだ・・と気づくことがしょっちゅうあって、今回の前田敦子が出逢う「劇場」もそうでしたよね。そんな時にはいつでも、そうだったのか!ではそのことがわかったうえでもう一度訪ねてみなければ・・と思うのですが。
実は、いつもいつも生きているかぎりそうなんだけど、旅をしてるときは特にそのことを意識する。この瞬間この場でわたしが(わたしにかぎらず誰でもすべての個人が)体験していることは、この場この時限りの特別な瞬間である。と、同時に、旅をしていてしみじみ感じるのは、その時その時のその場かぎりの特殊な瞬間が、世界の普遍的な真実にふと通じてしまうことがある。その、クラクラとする感覚、こそが「世界のはじまり」なのではないか。
あっちゃんが、というか映画の中でミュージカル女優を目指す三流タレントが、やっぱりこの程度ではミュージカルの主役を張るのは無理だろうなと思わせる素の歌を披露する山上シーンは、そういうちょっと意地悪なリアリティを留保しつつ、映画の肌触りとしては全く異なる『サウンド・オブ・ミュージック』The Sound of Music のラスト「すべての山に登れ」Climb Ev'ry Mountain の歌われるシーンの解放感を彷彿とさせ、閉じ込められていた世界から、自由を目指して脱出するこのうえなきハッピーエンドとも見えたことでした。