稍ゝおも

ややおもしろく、ややおもたく、jajaのJa,Ja,おもうこと

夏至の日

夏至。一年で一番昼の長い日が日本では例年梅雨なのが辛いよね。今日も朝はいい天気かなと思われたのに曇りがちになっちゃった。

JR京都駅、南海難波駅、梅田あたりも今日はいっぱい人がいた。観光が動き始めている。わたしの知人友人でもそろそろ大人しくしてるのに飽きた〜!外国人観光客が入ってくる前に今こそ!ってんであちこち行ってる人が・・。わたしも行こうかな。

今日はひさびさ京都みなみ会館で『うたのはじまり』。ちょうどコロナ禍にかぶさってシネ・ヌーヴォで見逃してたのを、この一本だけのためにわざわざ行くかなぁ・・と思いつつ行って、やっぱり良かったです。アニメの『音楽』は「音楽」がナイーヴな青春から弾けだす瞬間を描いてワクワクしたけど、こちらも「うた」が人間の唇から生まれ出る瞬間を捉えて、すごくスリリングで感動的でした。両方とも学校で教えられる音楽の系譜などとは離れたところで、音を聴きたい音を出したい奏でたい伝えたい原始的な衝動がじわじわかたちになっていって、それがある瞬間、突然弾けるところがいいよね。しかもそれが生まれてからどんどん育つ赤ん坊から働きかけられ、いざなわれるようになるのが・・。

そのあと夏至だし、アリ・アスターの『ミッドサマー』という手もあったのだけど、もう見てるし(あのエグいやつ二度みる気せんし)、大阪は難波まで戻って、ジュリー・テイモア演出の舞台を映画化した『夏の夜の夢』を見ることにした。シェイクスピアWilliam Shakespeareの"A Midsummer Night's Dream"、かつては『真夏の夜の夢』と訳されてたと思うのだけど、この頃はこちらの方が定訳か。確かに日本語で「真夏」というと、midsummerという言葉が含意する夏至ごろの感じではないもんね。アリ・アスターのも「夏至祭」のお話だし。真夜中も日が沈まない北欧の夏至祭、いいだろうなぁ・・。ジュリー・テイモアJulie Taymorの舞台はすごく耽美的で、場面展開など幻想的でカッコよく、人物造形も俳優の演技も衣装もみごとで、完成度が高かった。楽しめました。なんばパークスシネマではちょうど同じ時期にパリ・オペラ座のバレエによる『夏の夜の夢』もやってて、これも行きたかったのだけど、今日は時間が合わず断念。どうするかな?

『うたのはじまり』監督:河合宏樹 出演:齋藤陽道

utanohajimari.com『夏の夜の夢』ジュリー・テイモア演出 Theatre for a New Audience (TFANA)

www.imdb.com

 

仁義なき力の場

昨日も2本。『罪と女王』『衝動ー世界で唯一のダンサオーラ』。後者は、短躯で小肥りで「ダンサー体型ではない」ロシオ・モリーナの弾けるようなパフォーマンスにただただ目を奪われる。『ラ・チャナ』という記録映画もあってその中にもモリーナは出てたけど、そのラ・チャナとの共演も。ああ、フラメンコっていいな!

前者、予告篇みたときから「ああ、これって見た後いやな気分になる映画やろな」と思い、やめとこかなと思ってたが、評判高いのでやっぱり見てしまった。やっぱり後味悪い映画やった・・。最近ニュースになった40歳と14歳がどうやったかは知らんけど、一緒に気持ち良い遊びをしているうちは対等な関係だと思ってるかもしれないが、いざ問題が起きると「おとな」と「こども」の力の差があらわになる。おとなはあらゆる卑劣な手を使って保身に走り、こどもを踏みにじるのだ・・。そして、おぞましさから目を背け結果的に黙認した周囲も、薄々真実に気づいていながら「自分に都合の良い」真実の方を信じることにした者も・・。「こども」たちがみんな美しくて可愛らしいのもますます悲しくていじらしい・・。

映画業界に限らず、あらゆる人間関係の場で「力」が作用する。カップルであれ家族であれ友だち関係であれ、力で支配したりされたり、その均衡で成り立っているのはなんとかならんものか・・。すごくうまくいっているように見える恋人同士でさえ、どちらかがどちらかを支配・制御していることがすごく多い。長いこと配偶者にモラハラされてて自分で気づかないでいたという人も、ごく身近にいた。わたしは昔っからいじめられっ子の立場に立つことが多かったけど、それだけに、いざ自分が主導権取れる立場になったときに、やっぱり他者を支配したり自分の思う通りに操ったりしたくなる欲望に気づかされる。気づく前に、やってしまうことも、思わぬ言動に出てしまったりすることもある。ほんまに、なんとかならんもんかね?

自粛明けのわりと早い時期に見た『ルース・エドガー』と『許された子どもたち』も、そんな仁義なき力関係を描く。これもきっと予告篇見たときからぜったい嫌な気分になるやつだ、とは思ったけど、後者の内藤瑛亮監督、『先生を流産させる会』(←もう、タイトルからして非道いよね)の出来が鮮やかすぎて、その監督が長年温めてきてようやく製作に漕ぎつけた映画だというので、ぜったい観に来ようと思ってた。いじめ少年がいじめられ少年を殺してしまった、そういう事件は現実にもあったわけだけど、そのとき加害者側はどうなるのか?・・の話。友だち(仲間)関係、家族関係、そしてそのなかの一人と一人が向き合ったときの関係、そのいちいちの感情や具体的な言動がみごとに描かれる。映画の語りもすごく説得力ある。特に主人公の男の子とその母親がものすごかったな。

そういう「力」の制圧する場を救うのは「愛」だとか腑抜けたことがよく言われたりするのだが、『ルース・エドガー』にせよ「愛」とか「信頼」とかが人質に取られたり、交渉の賭け金にされたりした瞬間から、それは本物の(つまりは無償の)「愛」ではなくなる。ルース・エドガーのタイトル・ロールのこどもはLuce(光)という美しい西洋起源の名前を与えられた瞬間から、不均衡な力の場にいることを思い知らされ、その怨みを逆手にとって巧妙に力を操作する術を学んでいく。『許された子どもたち』の主人公が、雁字搦めにされて罪と向き合うことも自分を見つめ直すこともできず出口を見出せずにいるのと対照的に、こちらの主人公は十分自覚的に、いわゆる(偽物の)「愛」とか「信頼」とかを手玉にとっていくのだ。どちらの作品でも主人公のごく身近に主人公を受け止めるような役割の女の子が現れるわけだけど、『許された〜』のその女の子の犠牲者の姿(牛乳をぶっかけられる)に対して『ルース〜』の韓国系の女の子の、社会的には犠牲者として振る舞いながら、ルースといるときの動物のように光る目がものすごかったな・・。

こんなふうに 陰湿な「力」ばかりが横行する場に生きていると、『仁義なき戦い』とか具体的にドンパチやって血がばんばか流れる世界の方が、いっそカタルシスになって見終わったときにスッとするってのがあるんでしょうね。深作欣二の特集、京都でやるらしいですよ。

『罪と女王』Dronningen

Dronningen (film) - Wikipedia, den frie encyklopædi

『衝動ー世界で唯一のダンサオーラ』Impulso

Impulso–Film - Rocío Molina

『ルース・エドガー』Luce

Luce (film) - Wikipedia

『許された子どもたち』内藤瑛亮

映画『許された子どもたち』オフィシャルホームページ

アップリンクのことなど

先日のリストに入れ忘れてたのが『15年後のラブソング』。昨日見たのが『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』。すごくすごくすごく楽しみにしていた作品だし、もちろん出来は予想以上だし、グレタ・ガーウィグの創り出した、今の今に最もふさわしい『若草物語』の世界に思う存分ひたりきって、外に出てくると、なんだか今の現実(ほとんどの人がマスクをしている)世界が嘘のような、たちの悪い冗談のような気がしてくる。今日は『コリーニ事件』。

一昨日の月曜に初めて行って、会員になって、これからも精々通おうと思ってたアップリンク京都だけど、そのアップリンク浅井隆さんのパワハラ訴訟のニュースはいかにも残念! どこの世界でも、その人にしかできない優れた仕事をしている人ほど、自分の意を汲んで動いてくれる人に対して辛く当たることがよくあるんだろう。ことに映画とか演劇とかの世界では、作家としてのエゴが、他者を利用したり支配したりという方向にいってしまうこともあるのだろう。良いものを追求するという名目で、現場が苛酷で非情な環境になってしまうこともよくあるんだろうな。これまでアップリンクが見せてくれたものすごくユニークな映画作品群が、どれだけわたしの(映画的)栄養になってきたか・・。浅井さんの仕事が独創的であればあるほど、本当に残念でならない。

この業界、他の人、他の組織でも似たような話は耳にしたことがある。自分一人でやるならどんな無茶でも無理でもシャカリキにやり遂げてしまうことができるかもしれないけど、それを他者にやらせたり、自分の意に沿わなかったりしたときに、パワハラモラハラ・・は、やっぱりあかんよなぁ・・。

映画にハマり始めたはるか昔の頃、これを少しでも飯の種にできないかとよぎったこともないではなかったが、作るにしても、見せるにしても、また評論など周辺で関わるにしても、ホントに厳しい世界。それを仕事にして食ってこうとすると、わたしにはとても無理だと観念したことがある。

浅井さんは今回のコロナ禍のなか、ミニシアター(や映画業界全般)が生き残るためにも素晴らしい働きをしていた方だし、だからこそ、今回の訴訟をひとつの奇貨として、業界全体を見直してもっと良い環境にしていくような動きになればいいなと思う。わたしは消費者として、一ファンとして関わることしかできないけれど・・。

ちょうどおんなじようなタイミングで、いま映画館にいくと予告篇が流れている、ティモシー・シャラメくん(いま旬ですね!)の次の作品の監督、ウディ・アレンにまつわるきな臭い話も聞く。そのことでハリウッドが(アレン批判派と擁護派に)二分されてるとも聞く。こういう場合はまず被害者の言い分を丸ごと受け入れることが基本で、そうなるとアレンを弁護する余地などなくなるのだけど・・。しかし幼児期に保護者から性的虐待を受けた記憶というのはしばしば偽の記憶であることも多いと聞くし、真相はどこまでいっても闇の中なのかもしれないし(でも、きっと、そんなふうに言うと被害者を追い詰めることになってしまうのでしょうね)。

それにしても、ウディ・アレンぐらい長いキャリアがあってどの映画も秀作というような人ならもちろんのこと、浅井隆さんも、また『童貞。をプロデュース』の松江哲明監督も、劇団「地点」の三浦基さんも、また『人間の時間』のキム・ギドク監督も、それまで自分のやり方で強引にやってきて、それでちゃんとした作品を創りあげてきたんだって自負も誇りもあればあるほど、間違いを認めることが難しいし、変わることが難しいんだろうなぁとも思う。たとえ表面的に反省したとしても、意識の底では自分が正しいと思ってるかもしれないし。また、周囲がひどい場面を目撃しても「あれが彼のやり方で、彼はちゃんと結果出してるんだし」と黙認することもよくあるんだろうし、部下が酷い目に遭っても、自分は好きな仕事をしてるんだし尊敬する人についてきてるんだからと「やりがい搾取」されることもあるだろうし、それを当然視して再生産する環境もあるんだろうし。

昔の人ならもっとひどい話をいっぱい聞くもんな。映画製作一つとっても、俳優のプライドを粉々にしないと気が済まない監督とか、女優に手を出す監督とかプロデューサーとか、「灰皿が飛ぶ」ことで有名な舞台監督とか、DVで告発された劇作家とか。ああ、わたしが自分で体験した広告業界・出版業界でいうと、幻冬舎と箕輪厚介の問題もあったよね。これはもう弁護の余地など微塵もない。女性のフリーライターにはセクハラして当たり前、枕営業を要求して当然と思ってる編集者とかディレクターとかクライアントとかうんざりするほどいる。ましてや芸能界の枕営業の話なんか、もう男女問わず洋の東西問わず反吐が出るほどあるもんな。

こういうのは一人一人が意識して変えていかないといけないし、そういうのが集まって今とは異なる文化を作っていかないといけない。映画監督で言えば、例えば、監督だからといって現場を「支配」することは決してしないし、俳優に指示を出したりすることもしないということを方法論にしているというアルベルト・セラとか(諏訪敦彦さんも同じような方法論でやってると聞く)、出演陣やスタッフに最大限の気配りを行うという黒沢清さんとか深田晃司さんとか、いろいろ良い例もよく聞く。カトリーヌ・ドヌーヴを立ててフランス映画を監督した是枝裕和さんの、その『真実』のメイキング見てると、「日本だったら『もう今夜中に撮ってしまおう』となるところ、フランス映画の現場では決してそうならない」みたいなことをおっしゃってた。つまりは日本の現場で「無理を通す」ことをスタッフも監督もみ〜んな当然としている局面、世界標準ではもうそうなってないってことだな。しっかりルールを作った上で、こういう文化になっていけばいいけど。そして映画に関わる人たちの全てが、ちゃんと良質な作品を創りつつ、食ってけるようになればいいと思うけど・・。

   *

新型コロナで公開延期になってたやつでこれまでのところ良かったのは、もちろん『デッド・ドント・ダイ』に『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』。今日見た『コリーニ事件』もなかなか・・。また改めて感想書きます。

『デッド・ドント・ダイ』で神々しいお姿を見せていらっしゃったティルダ・スウィントンさま(←これは当然「さま」づけ)も、初めて見たのはアップリンクの配給したデレク・ジャーマンの作品群だった。あの若くて美しくて知的で、性を超越した存在のみごとだったこと! もう手放してしまったけど、ジャーマンのビデオソフト(当然アップリンクの製品)は、いちばん好きな『エンジェリック・カンヴァセーション』はじめとしてずら〜っと持ってた。クイアの世界に目を開かせてくれたのもそのあたりが最初でした。アップリンク京都のオープニング作品にもジャーマンは含まれてたっけ? 全く知らない人に『BLUE』とかはちとキツイかもしれないが、またスクリーンを凝視しに行ってみたい気もする。(家のモニターじゃダメなの)。

 

新風館にて

5月半ばに関西の映画館が再開してからこっち、見た映画を羅列すると・・(映画館で観たやつだけね)。

『ドント・イット』『わがままなバカンス』『ナンシー』『21世紀の資本 』『白い暴動』『レ・ミゼラブル』『ナイチンゲール』『もみの家』『ストレンジ・シスターズ』『王様になれ』『人間の時間』『 暗数殺人』『アリ地獄天国』『精神0』『性の劇薬』『在りし日の歌』『音楽』『緑の山』『我ら山人たち』『山の焚火』『恐竜が教えてくれたこと』『ヘヴィ・トリップ』『ルース・エドガー』『許された子どもたち』『アメリカン・ドリーマー』『デッド・ドント・ダイ』『ハリエット』『未成年』『色男ホ・セク』そして今日は県境ならぬ府境越えしてアップリンク京都にて『ホドロフスキーのサイコマジック』『DUMB TYPE 高谷史郎-自然とテクノロジーのはざま』『pH』・・ちょうど月に30本か。普段はパスするような作品も観ている。もちろん面白かったやつもしょーもなかったやつもあるけど、もう、映画館にいるのが幸せ〜って感じで次々観ましたな・・。今後はもう少しペースダウンして普段通りに戻そう。

で、知らなかったんだけど、このアップリンク京都が入った新風館に、また今どき話題のACEホテルが入ったのね。本格営業はまだだそうだけど、いまその前にいろんなお部屋を見せてくれていて、なかなかのもんです。映画の前にいろいろ見学して回って楽しんでます。今度は映画のついでに泊まりに来ようかな。

建て替わる以前の新風館も好きだったけど、今回も風の入る構造、なかなかのもんです。

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お月さま・・

昨夜(日付は一昨日)は満月。新しい日常とやらはっきり言って異常な生活が始まってから三度目の満月になる。4月は桜の花の満開の下の満月、5月は黄色に映えるスーパームーンだったけど、6月はネイティブアメリカンがストロベリームーンと呼ぶ月なのだとか。・・だったはずが大阪は分厚い曇り空。真夜中中天になる頃に漸く朧に見える程度でした。その代わり、今夜(日付は昨日)の十六夜の月はものすごく綺麗に見えてます。少し離れたところから木星と、そのあともう少し暗い土星がくっついて追っかけて来てるのがかわゆい。

下の写真は十三夜の月。心斎橋シネマートで映画見たあと御堂筋を北上して帰る途中で見た光景です。お星さまは世界の贅沢ブランドのしるし。このビルの下にはショーメとディオールとフェンディが入ってます。ショーメの宝飾品なんてわたしには一生縁がないだろうけど、結構好きなのよね。見るだけなら・・ってホントは手にとって肌に触れてみてみたいものだけど・・。

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この下のは今夜(日付は昨夜)の十六夜月。橋は飛翔橋です。

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近くで月見パーティーというわけか、焼肉で飲食してる一群がいた。すれちがうときに耳にした言葉は中国語でした・・。

みんな、普通に戻ってる? 電車は結構混んでる。ほぼ全員マスクして黙ってるからええようなものの、夜の飲食店街とか通り抜けると、みんな普通にマスクなんかせずに飲み食いして騒いでるんですけど・・。

京大の宮沢孝行先生によれば、みんながマスクして黙って観てる限り、映画館など空き席を取らないでも満員の客を入れてもいいんじゃないかと。ソーシャルディスタンスはもともとマスクしない欧米の常識から考え出されたもので、マスクしてればそれほどの距離は必要ないと。確かにね。でも、みんなむしろ一人で黙って歩いてる時はマスクしてても、人としゃべるときとか外したりするでしょ。飲み食いするときに外して、それからちゃんとマスク付け直してからしゃべるなんてめんどくさいことしないで、外した隙に喋ったりするでしょ。映画館に来る人がみな(わたしもそのひとりであるところの)一人で来て黙って座って映画見るだけの人ならともかく、友達と一緒に来たらやっぱりしゃべるでしょ。気持ちはわかる。わたしだってそうだもの。親しい友人など、まーこの人と一緒やったら移し移されてもいいかなって人とは(いちいち意識するわけではないがなんかこの人ならいいけどこの人は嫌ってのがある。見知らぬ人は絶対いや)、マスク越しにしかしゃべらないなんてことしないし、ソーシャルディスタンスなんて距離も取らない。みんながウイルスのことを気にかけて常に常に優等生的に振る舞えばいいけど、なかなかそういうわけにはいかないもんね。そういうリスクを織り込みながら、少しずつ経済活動再開していくしかないか・・感染第二波は怖いけど。

あ、そうそう。アベノマスク届いたんですよ。しかし、わたしの住んでるところにはまだ。なんと事務所のポストに放り込まれていた。ホントに誰かが言ってたとおり、まるでポスティングされる広告付きのポケットティッシュみたい。え、なんで? ここには誰も住んでないのに、と思ってよくよく見ると、一住所につき2枚の配布、一世帯につきではないのね。してみると、わたしは一人で合計4枚受け取ることになる。要〜ら〜ん〜〜〜!!!!! それにしても仕事場と住んでるところは歩いて2分ぐらいだし同じ区なのに、道路隔てて別の町内になるからというのか、住んでるマンションには未だ届きません。届いたらどこかに寄付とか考えよう・・しかしどこか引き取ってくれるところはあるかしら?

持続化給付金は5月分で申請することにしたのだけど、最後の最後、本人確認書類(という一番簡単なはずのところ)で頓挫。わたし運転免許もマイナンバーカードももちろん住基カードも持たないもんで。普通ならパスポートと健康保険証と年金手帳とどれか一つないし二つでいけるはずが、その組み合わせではダメ。このためにわざわざ住民票を取りにいかないといけない。もう、なんなんだこれは? 嫌がらせとしか思えない・・。なんでもっと申請する人のことを考えた仕組みにできんのや? で、その事業の請負がまた巨大な中抜けの仕組みになっているとか。で、政府の行うあらゆる事業に電通パソナが関わって、その都度実態のない組織や丸投げの仕組みで巨大な利益を吸い上げてそれを自民党に還流させているのだとか・・。もう、何をか言わんや。仕事で電通と関わったこともあるし、知人もいるし、電通の中の人、いい人も悪い人も、仕事ができる人もできない人も、いろんな人を知ってるけど、それぞれはそれぞれの人間なのに、組織となるとこういうことになっちゃうわけか・・。というか、選挙も、民衆にアピールするイメージ戦略なども、ぜんぶこういう広告業の大手が牛耳ってるのだとしたら・・。ポスト資本主義の世の中で広告という情報を操り欲望を操る装置の重要さはいくら強調しても強調したりないけど(ってこれに相当する日本語ないものか)この見えざる権力にくれぐれも騙されたり呑みこまれたりしないようにしなければ・・なんだけど、映画に限らずあらゆる表現に、やっぱりこの広告(広報・宣伝・販売促進)は付きものなんですよね。SNSなどプラットホームは変わりつつあるのだけど、何か本質の部分では変わらないところがあるような・・。

言うてるとまた書けなくなるな。今日もまたWe Are OneのYouTubeチャンネルからヴェネツィア映画祭のセレクション2本、サンセバスチャン映画祭のを1本。これまでここで見たものといえば、東京国際のもあるけど、あとはトライベッカ、アヌシー、ムンバイ、ニューヨーク、サンダンス、ロッテルダムグアダラハラの各映画祭。そういえばサンダンスだっけかの作品を見る前に、これまで犠牲になった黒人の人たちを偲ぶための黙祷タイムがありました。残念なのは、いろんな監督や俳優からのメッセージや面白い組み合わせの対談があったりするのだけど、英語のヒアリングが思うに任せぬ身なものでなかなか難しいところ。他にも、いろいろネット配信でゴダールセルジュ・ダネーの対談見られたりとかするのだけどフランス語のヒアリングがなぁ・・。もうだいぶ前になるけどヨーロッパでロックダウン始まってごく初期の頃にあったゴダールのロングインタビュー、フランス語だけでは歯が立たず、英語字幕がついてからなんとか見たけど、それでもまたどうもよく理解できてないもんな。外国語能力はいつまでたってもダメですね・・。外国語学習は辛抱強く勉強することが必須なことはわかってるのだけど、そのコツコツが苦手な身は、ついつい基礎努力を怠ってるくせに背伸びしようとしてしまうもので・・。

 

地は久しく天は長し

朝からひと仕事終えた梅田から(自宅から梅田までももちろん徒歩)まず渡辺橋まで出て堂島川沿いに中之島を西の端まで歩く(川沿いを歩くのがやっぱり好き)。そこから安治川と木津川(はるか上流で消えた名前が河口近くで復活するのも面白い)に挟まれた川口(旧川口居留区)を突っきり、松島新地(ふだんこっち側は通らない。昼間から開いてた店も数軒あったな。飛田でも思うのだけどお姉さんたちホントに綺麗です。)を抜けて、再開なって初のシネ・ヌーヴォまで。意外と時間も歩数もかからなかった。受付に山崎さんの姿を認めてなんか涙が出そうになったわ・・。
今日明日つかってフレディ・M・ムーラーFredi M. Murerの山・三部作(マウンテン・トリロジー)を見る。随分昔にぜんぶ見ているけどね・・今回はやっぱり観よ。それと見逃していた(というか当初はパスしよかなと思ってた。わたしって日本のアニメにわりと冷淡なの。今回のは信頼できる筋から熱烈お勧めと聞いたので)『音楽』も。
で『音楽』もなるほどよかったのだが、今夜は前に下書きしてた以下だけ投稿しておきます。
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『精神0』想田和弘(2020)
「仮設の映画館」で見て、また再開なった七藝で観た。なんだろう、この優しさと思いやりに包まれた空間は・・。山本先生の「ゼロに身を置く」は木村敏さん言うところの「祭りの前」でも「祭りの後」でもない「ゼロの時間」でもあり、あれこれと欲に囚われる心を束の間解放することでもあり・・「祭りの前」も「祭りの後」も欲得もそれが人間を人間でしかないものにしている要素であり(たぶんネコの時間はゼロ±ほんのわずかしかないと思う)一人ひとりが「大事にせんといかん」ものなんだけど、それを一日一回でも、あるいは一週間に一回でも、ゼロにしてみる・・。その簡潔にして凄い哲学を誰にでもわかるように言う、その「先生」を、患者の方が逆に気遣う、上下のないフラットな目線。患者の方から学ばせてもらったという先生の謙虚さ。しかしその先生は家事となるとからきしダメである。これまで奥さんに頼りきってたのが丸わかり。その芳子さんも認知症になってすら、基本の人格は変わらないのね。頭が良くて勘が冴えていつもくるくる働いてた人なんだろう。だからじっとしてられない。もう、いいからおとなしく座っときと言いたくなる場面でも何かやってないと気が済まない。その手の仕草やその表情や・・予告篇にあった場面で「僕の手を持って」とか言いつつさっさと歩いていく山本先生に「両手ふさがっとるやん!」とツッコミたくなるのだが、そのあとようやく気づいて振り返って帰ってきて、ちゃんと手を掴むまでの仕草のやりとり・・危なっかしい墓地での一歩一歩・・一つ一つの仕草やことばのやりとりが、人生の一刻一刻の貴重な時間である。想田監督の観察映画シリーズは全部見ている。のだけど、全部いいな。「観察」は「判断」をしない。判断はしないんだけど、どうしても判断している部分がある。できるだけ関与しないんだけど、やっぱりどうしても「関与」している部分がある。そのあわいに滲み出てくるもの人生のある瞬間がまた貴重である。
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『在りし日の歌』地久天長 So Long, My Son (2019) 王小帥 ワン・シャオシュアイ

地久天长 (电影) - 维基百科,自由的百科全书

邦題は中原中也の詩集のタイトルのまるパクリだけど、中也の「在りし」も亡くなった息子のことを言ってるのでまあ間違いではないのだろう。けど原題の壮大さには敵わないな。そいえば『天長地久』というタイトルの香港映画、アンディ・ラウの主演でありましたっけ?アアロン・クォックのも? 地は久しく天は長し。中国語(漢字)っていいなぁ・・。
二組の夫婦とその息子を軸に、一人の息子が喪われ、その代わりになるはずだった二人めもあらかじめ失われ、そのあとに三人めの代わりの子が差し出され・・「親」と「息子」と「友」のかかわり、反復と差異、欲望の交換と代償と・・そのありようが、主人公らとそれを取り巻くすべての人々、また中国の「北」と「南」と「一人っ子」をめぐる現代史の大きな時間の流れとともに雄弁な映像で語られる。見事な作品でした。字幕でシンシンとカタカナで呼ばれるとわからないけど、物語の真ん中を貫く負の中心たる喪われた息子の名前は「星」であることが墓標からわかる。『精神0』で最後の肝心なところで(間抜けにも)なかった火が浄化する時間の重み・・。すべての「親」と「子」と「友」がいまどきのIT技術も動員して勢揃いするラストは、もう号泣ものでしたね。

 

ヤルタ会談 online とか

(昨夜のことですが)わっ!なに?YouTubeで『ヤルタ会談』やってるやん!って慌てて観た。今でも見れるかな? 平田オリザ - 青年団の中でも好きな作品。今回は深田晃司の演出によるオンライン版。そうやった!このWeAreOne映画祭、東京国際も参加していたのだった・・それにしても豊富すぎて、たまたまテレビの前にいる時間帯で目に入ったものを見るだけなんだけど。それでも興味深い作品がいっぱい!

Festival Schedule | We Are One: A Global Film Festival

その時間帯が終われば消えてしまうのかなぁ・・追っつかないよぅ!

あと、これは書いたっけ?ギリシャはテサロニキ映画祭がStay at Homeの特別企画として短編映画を無料配信している。

https://www.filmfestival.gr/en/

YouTubeのチャンネルはこの名前↓です。

thessaloniki international film festival

賈樟柯ジャ・ジャンクーがこのコロナ事態を受けていち早く作った短編がここから配信されてたので、知ってる人も多いかな?

シネマテークフランセーズの特設サイトも見られる作品がどんどん増えたり消えたりしてるし、追っつかないよぅ・・

HENRI : Des films rares de la Cinémathèque française à voir en ligne

見たやつとか、いつかまた書きます。

   *

香港が大変だと書いたばっかりなのに今度はアメリカが全土で大変! トランプみたいなレイシストで暴力的なアタマをいただくと、警察とかが嵩にかかって弱い者狩りに走る。日本でクルド人に起きたことも同じ。このたまたま撮影されてたクルド人以外でも、また他の外国人でも、日本に難民申請求めて来てる人はじめ、どんだけ外国人が日本でひどい扱いを受けていることか・・。

トランプみたいに暴力的で無茶苦茶で馬鹿なツイッターとか流してるとかえってわかりやすいけど・・日本はもっと陰湿。利権でがっぽり儲けることしか考えてない、弱い者たちがどうなろうが知ったことではない・・と。

日本語で喋る『ヤルタ会談』のプレイヤーたち、「るーずべると」に「すたーりん」に「ちゃーちる」がどんだけ軽〜く世界の運命をしゃべり、決めていくかに笑いながら戦慄する。権力者のことばってこういうもん。