稍ゝおも

ややおもしろく、ややおもたく、jajaのJa,Ja,おもうこと

わたしは楽しみを手放さないだろう(可能な限りね)

ところでわたしは、昨日のようなことを書いたからといって、他人のために自分を犠牲にしたり、他人を立てて自分を抑え、慎み深く振る舞ったりするタイプではない。(わたしの女性の友人にそういうタイプの人いるけど。)単に昨日書いたことは意地ってだけね。マスクも、機会あったときにすかさず手に入れたことは既に書いたとおり。あと、映画館などでは真ん中前寄りという自分の好みの席を決して譲ることはしない。満員の時でもすかさず自分の好きな席(に近いところ)をできる限り確保する。電車の中でもひとを押し分けたりはしないけどすかさず座る席を確保する・・(ただ夕刻のJR京都線新快速のように周囲が慣れた手練れ揃いの場合は席争いに勝つのは無理)。
COVID-19については山中伸弥さんのブログを早速ブックマークしたけど、岩田健太郎さんのブログも役に立つ。わたしが疑問に思ってることに的確に答えてくれる。・・というか正しい結論なんて今はどこにもないんだけどね。
閉じこもるのは嫌なので、気を付けながらも映画館や花見(どんちゃん騒ぎでなく遠出して花を見てくるだけ)やライブなど楽しみに出かけようと思う。(開けててくれてる限りね。)だから、ある程度「移される」可能性があることは仕方ないかなと思う。(もちろん気をつけるけど。)ただ、自分から「移す」のはできるだけ避けたい。だから仕事で至近距離で話さないといけない時などはマスクを付ける。
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以下は、こないだ不要不急で(自分的には要も急もあったけど)東京行った時、うまく時間がはまったので関西公開に先駆けて見てきた2本。
『コロンバス』Columbus (2017) Dir: Kogonada

en.wikipedia.orgアメリカのモダニズム建築がたくさん残された街で、その建築たちもまた主人公になり。(主人公らが暮らす全然モダニズム建築じゃないお家のお部屋もまた主人公になり)。恋愛すれすれで恋愛にならない、でも恋愛にならないぶんもっと何か繊細な関わり合いのある、主人公らの会話のやりとり、感情のやりとりが描かれる。あれ、この二人どうなったのかな?(どうなるのかな?)と観客に気を揉ませ、その回答がやはり「建築」(お部屋)のつなぎショットで示されるのがちょっといい感じ。
Kogonada って名前の監督、一体何者か?と思ったら、小津安二郎に私淑しその脚本家である野田高悟の名前をもらったものだとか。この落ち着いた全体のトーン、部屋(人のいる&人のいない)や建築の撮り方、なるほどと思わせます。
こういう秀作がアメリカから出てくるのがいいな。
『娘は戦場で生まれた』For Sama (2019) Dir: Waad Al-Kateab, Edward Watts

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من أجل سما - ويكيبيديا

アサド政権に対抗する民主化運動に加わっていた女子学生が、まだ学生の面影の残る可愛い顔のまま内戦に巻き込まれていき、その活動に加わった医師と結婚し、母になり、そして自らは、その病院の一連の活動とシリアの状況をつぶさにキャメラに収めていき、ジャーナリストとして世界に発信する・・。この娘のSamaがね、もう見た人みんなが蕩ける(とろける)可愛らしさなのよ。この子どもたち、この家族たち、生き延びてほしい。ISが入ってきたせいで、その討伐を口実にロシアがアサドと組み、彼女らのような民主派までも追い詰めていく。病院を爆撃する非人道など、コロナ禍に世界が震え上がっているさなかでさえ、こうやって戦争がなくならない地域、殺され傷つき追われていく人々がいることを忘れてはいけない。