稍ゝおも

ややおもしろく、ややおもたく、jajaのJa,Ja,おもうこと

フーコーなら・・

それにしてもコロナ禍で一つあらわになったことが、ミシェル・フーコー言うところの生政治/生権力といったもののありよう。ほんまに我々一人ひとりの生殺与奪をがっちりと国なりの権力に握られてしまってるんだな。何人感染した何人死んだ何%にワクチンが効いた・・と数で把握される。一人ひとりの生は一つきりしかないのに・・。
うまくコロナ禍をコントロールして被害を比較的少なくしている国々は、その生政治を「うまくやってる国」。日本なんかはもうダメダメで、そもそも拙劣な上に利権(お金と権力)やらメンツやら政治を腐敗させているあらゆるものが関与して、ほんとうに酷い状態になっている。
中国なんかはその生政治を激烈で残酷なかたちで権力の(習近平の?)恣(ほしいまま)に「うまくやってる国」にあたるのだろう。それもIT技術を駆使して一人一人を監視し管理する。抹殺したい不都合な人々やものや不都合な真実はどんどん抹殺する。ウィグルでは監視カメラに映った人の顔が顰めっ面だと「何か不満を抱えている」要注意人物と見做されると聞いて(ほんまかどうか知らんが)びっくりした。「人々がみんな笑顔の国」って気持ち悪いな。
フーコーが生きていたら、このコロナの時代をどう見るだろう?どのような言説で語るだろう?