稍ゝおも

ややおもしろく、ややおもたく、jajaのJa,Ja,おもうこと

LA FRANCE contre les ROBOTS (2020 Jean-Marie Straub) など

ところで「緊急事態宣言」は、どんだけボンクラな首相のどんだけスカスカな内容であれ、いやしくも一国の首相が行った「宣言」である以上、一定のパフォーマティブな効果を持っている(というか「宣言」というのがそもそもパフォーマティブな言表行為である)。だから、宣言を聞いて「ホッとした」とか「良かった」とか「頑張ろうという気になった」とか好意的に受け止めた人が一定数いたことは当然だと思うし、それを否定する気はない。(かく言うわたし自身も「ああようやく・・」とちょっとホッとした気分を味わったもんね)。だけど、だからこそ、ちゃんと政府は責任持って自粛要請に伴う保障とかをしっかりせんといかんのんちゃん。それなのに、補償はできない、給付対象はごくわずか、しかも支援を受けようとすればなんだか面倒な手続きが必要そうで、こんなのホントにほんとの必要な人たちに渡るお金はごくごくわずかなのではないか?政府は大多数の国民に死ねと言うのか? COVID-19でなければ経済的困窮で・・。それを「こんな時期だから安倍を批判するな」とか「日本は一体となるべき」とか、批判者を黙らせようとし安倍政権支持を叫ぶ人たちは・・。あの、みなさん、少し心配しながら聞きますが、安倍にありがたく全面服従すべしと叫ぶ人たちは、みんな、このひどい棄民政策のなかでも無事に食ってける人たちばっかりなんですかね?(ちなみにわたしは無理ですよ。)(言うてる最中に例の動画見たんですけどね…。なんかこういうの見ると、安倍政権の政策批判する以前に安倍その人の人格攻撃したくなりますわぁ…。この無神経はなんなの?パンがなければなんで菓子パン食べないの?的な。グロテスクとしか言いようがない…。で、それにもかかわらず「首相お疲れさまです。お顔に疲労がにじんでます」みたいなお追従リプする人たちって誰なの?何も心配なく家でのんびりしてられるお幸せな人たちなの???)

民のなかには、(緊急事態宣言されたのに)近所の公園で喋ってる人たちがいるとか、パチンコ屋が開いてるとか、少年たちがサッカーしてるとか、そういうチクリをいちいち110番する人たちもいるらしい。京産大にいっぱい迷惑電話かけたのもこの輩ね。海外のどこやらでは、感染者にGPSつけて追跡する案も出ているらしい。監視社会(しかもIT使った)がますます進みそうで、それもいや。民同士で非難・監視しあったり、民の方から国に監視を求めたりすることはやめましょうよ。

あと、「コロナ打倒!」とか「一体となってコロナに打ち勝とう!」とか、威勢のいい掛け声にもちょっと違和感感じる。実質的に闘っているのは、ワクチン開発している人たちとか公衆衛生対策練っている専門家集団とか現場の医療従事者たちとかだけで、私たち一般人は、この嵐が頭上を行きすぎていくのを身をかがめてじっと待ってるしかしようがないんちゃん? それぞれの生活を守り身を護りつつ・・。わたしは知人友人に「生き延びようね」と声かけてます。なんとか生き延びよう・・。

そいえばここに書くのを忘れてたけど、自分が管理している小さな仕事場の家賃、大家さんのご配慮で半額まけてもらえることになりました。大家さん自身も小規模事業者で、少なからぬ影響受けていらっしゃいます。それでも(こちらからお願いしたわけでもないのに)このご配慮、ありがたくてありがたくて涙が出ます。また、わたしが大好きなミニシアターたちが潰れないよう、いろんな仕組みが立ち上がっていて、わたしも早速ささやかな寄付をしました。お国が冷酷な分、こうして民同士での助け合いがあちこちで機能し始めている。日本は、為政者がアホな分、普通の人々が優秀な国であるって、誰が書いてたんでしたっけ?

世界ではハンガリーのオルバン政権が新型コロナ制圧を口実として独裁体制を固めつつあるのが、最もひどい反面教師として批判されているらしい。これを機として憲法改悪とか、民の方から独裁者に首を差し出すような真似はやめましょうよ。

今日は朝から雨。夜になるにつれもっとひどくなるというので、雨に濡れない散歩道とて近所の商店街を2往復してきました。途中、使い捨てマスクをワゴンに並べてた店が一軒だけあった。1パックにつき5枚入りを「お一人様5点まで」とある。ちょっと値段高いかな?最初に通りかかった時は、おっちゃん数人がそれぞれおずおずと手に取り、買う人は少ない様子だった。二度目に通りかかった時はおばちゃん軍団がたかってた。三度目に通りかかった時は、もうそのマスクは消えていて、空気中のウイルスを除去するという怪しい商品(ちなみに誰も手を出していなかった)のワゴンになっていました。・・なるほど、ああいうおばちゃん軍団がいわゆる「買い占め」犯なのか・・。

ホラ、街を歩けばマスクに当たる。マジでアベノマスク要らん。批判した加藤登紀子さんのTwitterクソリプ(←この言葉じたい嫌いなので使いたくないが)が殺到しているらしい。「ファンだったのに」とか、おーい!ほんまのファンなら、登紀子さんの信条ぐらい知らないんですかね?亡くなったご夫君がどういう人だったかご存知ないんですかね? 全共闘の闘士で新左翼運動組織の委員長の立場にまであった人なんですが・・。

大林宣彦さんも、その柔らかな語り口できっちり反戦反核の信条を表明する人でした。尾道三部作の叙情性ももちろん大好きだけど、晩年、癌告知を受けた後もバリバリ作品を作り続けていらっしゃった、それが軒並み映画の枠を超えたぶっ飛んだ作品ばかりで、ワクワクドキドキしながら見てました。その最後の作品『海辺の映画館―キネマの玉手箱』がちょうど封切延期になっているタイミングでの訃報。・・ほんとうに残念です。

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これもバリバリの左翼映画人であるジャン=マリー・ストローブ Jean-Marie Straub の新作 ' LA FRANCE contre les ROBOTS 'は、いまネット配信での公開となっています。書こうと思っているうちに今日4/12までの公開になっちゃった。

こちらはバリバリの右翼文学者であるジョルジュ・ベルナノスGeorges Bernanosが1945年に書いたテキストを、湖沿いに散歩する後ろ姿の男が呟きながら歩くだけの作品。静かで美しい映像とは裏腹に、革命と体制と反テクノロジーについて語るテキストは過激です。

こうなってくると右翼/左翼の区別はあまり意味ないな。映画館が次々と閉まる前に見た『三島由紀夫対東大全共闘』とかぶり、反産業社会の標榜というところで繋がるところもあったので、Netflix駆け込みでユナボマーのドキュメンタリーシリーズも見ていた。Unabomber: In His Own Words (2020)。ユナボマーの人物像としては、アカデミズムに邪慳にされた(もしくはマイナーな立場に追いやられた不遇の)知識人として、反知性主義者のひとつの典型にあたるという分析もあろうけど、ただの個人のルサンチマンで片付けてしまうにはありあまる現象であろうと思います。ちょうど三島由紀夫の孤独な革命がそうであるように・・。世界がいま、新型コロナウイルスという目に見えない敵に向かって全体主義的な傾向を強めつつある現在、めちゃくちゃアクチュアルな問題系を示唆しているのではないかと思います。

と、ここまで書いて息切れ。ストローブまだ見てない人は見てね〜!