稍ゝおも

ややおもしろく、ややおもたく、jajaのJa,Ja,おもうこと

『7月の物語』とか

「遣らずの雨」というのがある。元はもちろん色っぽい意味だけど、単に出かけようとしてると大雨が降ってきて出るに出られなくなってしまったのが今日の雨。

ちょうど出ないといけない時間帯のみ大雨降り続け、しかもたまたま自宅ではない場所にいたため、この雨の中いったん家に帰ってまた出ないといけないとなるとますます面倒臭く、毎週楽しみにしているジムのジャズダンスのプログラムをサボることにしてしまった。
で、サボると決めた途端、その時間帯を過ぎて現金にも雨は小降りになりはじめ、もう絶対に間に合わない時刻になってすっかり雨が上がってしまった。

なんだか悔しいので、今から行ける映画はないかな?と探して、今週週日のどこかで行くつもりでいた、シネ・ヌーヴォのGuillaume Bracギョーム・ブラック特集に思い当たる。
見たのは Contes de juillet(2017)『7月の物語』と Le Repos des braves(2016)『勇者たちの休息』でした。

Contes de juillet — Wikipédia

前者、監督が Conservatoire national supérieur d'art dramatique フランス国立高等演劇学校の学生たちと一緒に、「5日間の撮影期間、3人の技術スタッフと少ない機材」で撮りあげた作品なんだそうで、よくÉric Rohmer エリック・ロメールと比べられるそうだけどほんまにロメールを彷彿とさせる、若いがゆえに素直に(あるいは激烈にあるいはトリッキーに)表出される人間の厄介な感情とか、無意識の行動にふとあらわれる厄介な動機とか、その結果唐突に出来(しゅったい)する人間関係の厄介な衝突とかこじれとか、それがまた嘘のようにほどけたり、また僥倖に触れたり、ちょっとした奇跡に邂逅したりとか、の、あれやこれやの人びとの様相を、本名で演じる登場人物の現実の姿ではないかと思わせるほど(しかしだとしたらいくらなんでも恥ずかし過ぎるか?)ごくごく自然に、また面白可笑しく描かれるのだけど、ロメールの演出もまたそうであったように、ものすごく入念に作りこまれて厳密な理論と実践のもとに実現された作品であろう。それぞれの人物像とこれはこういう展開になっていくのであろう映像的伏線を張ってあるところとそれを快く裏切る思いがけない仕掛けと・・作りこまれたものとわかっていても(いやわかっているからこそ?)登場人物それぞれがとっても愛おしい、第一部の女の子二人がけっきょく「柔道したよ/フェンシングしたよ」で終わるのも可愛いかったけど、第二部もそもそも2016年7月14日と日付を区切ったところからフランス人観客は全員気づくのだな。早いうちに「花火」という言葉も出るし・・そして日本人観客にはわかりづらいが発音と名前からわかる登場人物らの多国籍と・・。個人的には第一部のフェンシングと第二部のコンテンポラリーダンスと、ひとのからだがそうとは意識されず(あるいは無意識的には十分に意識され)ふと重なり合うあたりが好きでした。あ、柔道とか自己揶揄される、また第二部にも出てくる、ちょっとした取っ組み合いもまた、身体の重なり合いか・・。
後の作品は、フランスのアマチュア自転車乗りらのドキュメンタリー。もちろんスーパースターではなくプロでもなくアマチュアの人びとだけど、みなそれぞれに極限を体験し日常をしっかり生きている、等身大の人物像がこれまた愛おしいです。Un monde sans femmesTonnerre(2001)『女っ気なし』といい、Tonnerre (2013年)『やさしい人』といい、この監督は、こういう人びとを描くのが天才的にうまいな。女っ気なしのフランス男なんて(しかも映画見てもらうとわかるとおりほんまにこの男はこれではモテないだろうなと思わせる)生きてる意味ないんちゃん?とか思わせつつ、決して(アメリカ人のような)しょむない自己憐憫には陥らないのである。