稍ゝおも

ややおもしろく、ややおもたく、jajaのJa,Ja,おもうこと

概念を変える

よく「〜の概念を変える」という言い方を聞くけど、誰が言い出した言い回しなんだろう?
もう今年も押し詰まってますが、今年あった出会いのなかで一つ、わたしにとって大事な出会いだったのが「フルートの概念を変え」てくれた融解建築さんの坂本楽さんとの出会いだったのですが、昨夜、京都の和音堂さんであったライブで、もうひとつまた、別のやりかたで「フルートの概念を変え」ていたフルーティストさんに出会いました。
なんだか、ね。融解(木造)建築の坂本さんと、昨夜初めて聴いた安田直弘さんって、すごく対照的。いわば表(打ちリズム)と裏(打ちリズム)? 融解(木造)建築さんの方が、それぞれの曲にゆたかなイメージがひろがるような美しい独特の世界を創りあげている(しかも、それが、毎回新鮮なのがうれしい。何度聴いても、同じ曲でも新たな発見がある)のに対し、安田さんの方は、ファンキーでグルーヴィーで、というおよそフルートにはあてはまらないと思ってたブラック・ミュージックの感覚を、ものすごいノリの良いリズムで聴かせてくれました。(MCが面白過ぎるのが玉に瑕。これではまるで漫談ではないか・・ま、それもファンキーの要素ではあるでしょうけど)。
  *
映画は・・『マリッジ・ストーリー』ノア・バームバック Marriage Story (2019) Dir: Noah Baumbach

en.wikipedia.orgこれもNetflixのせいで1週間限定上映。うう・・なんとか駆けつけました。
アダム・ドライヴァーAdam Driver 好きだわ・・こういう存在感大好き。わたしのタイプの一方の極「大きくて怪物的」にぴったり(たとえばジェームズ・コバーンのような)(ちなみにもう一方の極は「小さくて妖精風」たとえば悲しくて未だにその名を口にできないかの香港俳優さんとかね)。そのアダムの大きなからだが立ちつくしたりリラックスしたり意志的に動いたりあっけなく頽(くずお)れたり・・あらゆる感情の揺らぎをみせて、このうえなく繊細な表情を見せるとき、もう、こいつを、わたしのこの舌で、のこらず舐めとってしまいたいと思うぐらいの、愛おしさだわ(わたしは変態か?)。殊に好きだったのが、嫁の母(こちらも結構長身)のJulie Hagertyと無邪気にほたえるシーン。ええわぁ・・。息子との関係も、それぞれのエピソードの中の身体と身体の関係のありようによってもう見た目で如実に示されるところがいいのね。(なんか、でも、父子って悲しいなぁ・・。この良いお父さんぶりも、またお料理したりするところもめちゃリアルで、アダム自身の私生活もこうではないかと思わず思っちゃう。)ダースベーダー(の後継者)もこの人だから見にいく。その頽れるところが、その表情の(きっと)このうえなく繊細に歪むところが、楽しみで仕方がない。
アダムと並ぶと(顔も体も)めっちゃちっちゃくみえるスカーレット・ヨハンソンScarlett Johanssonも、あああああの少女が(子役の頃からずっとその年齢に応じて活躍してたから)「母」であり「プロの俳優」であり「女」である一個のオトナを、やはりこのうえなく大胆にかつ繊細に演じるところを刮目して見ていました。・・しかし、離婚に弁護士を頼んじゃダメね。ってアメリカ社会の奇怪さを教える教訓もあるのかしらん?(そもそも別れることないやんとか思ってしまう・・)。ローラ・ダーンLaura Dern 良かったですか?なんか『ビッグ・リトル・ライズ』Big Little Lies のイメージがつきまとって離れなかったんですが・・。あと、LA 対 NY というアメリカに昔っからある(ことに映画や演劇の世界で顕著な)対立を物語の構造の中にも、セリフの端々にもうまいこと生かした脚本も秀逸でしたね!