稍ゝおも

ややおもしろく、ややおもたく、jajaのJa,Ja,おもうこと

気色悪い家族3題

日常のお買い物にPayPayの侵蝕が激しく、現金を使うお店がますます減って、財布のなかに小銭のたまること・・困った。しかし次なる試練は、マイナンバーカードを作ると褒美を遣わすというアレ。マイナンバーそのものをできるかぎり使ってない(知らせてない)し、ましてやカードを作るつもりもない。なんとか抵抗するつもりですが・・。
以下は、随分以前に書いてなんとなくエントリーしそびれていた記事。(「銀残し」をきっかけに・・)

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他人の家族は多かれ少なかれ「気色悪い」ものである。(自分の家族も客観的に眺めればなんらかの気色悪さが絶対ある。どんなに自分ちが「ふつう」と思てる家族にもね)。家族を描いたあらゆる作品はその「気色悪さ」をどう描いているかに価値があるのだと思う。それにしても半端なかったのが、たまたま一日のうちに見てしまった3本。
なんでそういう状況になるんやとか、どういう感情のやりとりがなされてそうなるんやとか、わからない、気色悪さ。それは、ことさらに特異そうに描かれる、その家族の置かれた特殊な状況のせいではなく、家族そのものになにか本来的に宿っているものかも知れぬと思う。(・・と、一人暮らしのわたしはたまに実家に帰ってそう思う。家族じゃなくても、友人知人らのグループのなかにいて、そう思う。いや、誰かと二人になった瞬間から、その場に生まれる「変」さの偏差(洒落ではないが)にちょっとぞっとしたり、或いは(相手によっては)巻き込まれるのがむしろ快感だったり、する。(とはいえわたしの場合、どんなに好きな相手でも「人疲れ」してしまってけっきょく一人でいるのがいちばん心地良かったりするのだけどね・・)
『ひとよ』

hitoyo-movie.jpこれって原作からこうなのか?それとも白石和彌の演出で作ってるところが多いのか?画面のルックスもそうなんだけど色味が希薄で陰と陽が極端な感情のやりとり。家族(母自身も含め)がこの母を扱うやり方はなんなの?(母のこの受け方はどうなの?)と思う以上に、このタクシー会社ってなんなの?と思っちゃう。でも役者たち全員いいです(特に女優陣)。
ちなみに、この画面の色合いは「銀残し」という手法で得られたものだとか。市川崑が『おとうと』(1960)で使ったことで有名。見ただけでそれとわかった映画友達さんがいて、敬服しました!
『影踏み』

kagefumi-movie.jp一卵性双生児だからといってこれはないんじゃない?(一卵性双生児を神秘化し過ぎちゃう?よくあるパターンではあるが)。『ひとよ』と似たような世間の悪意というモチーフが出てくるのだけど、これはこれでこういうものなのか? で、しかしこの監督お得意の青空に緑の樹や草。いや、その美しさに回収してしまってはイケナイんじゃないのと思う。
ちなみに本作にはある仕掛けがあって、全く違う映画だけど(あ、でもこちらにも気色悪い家族は出てくるけど)『ブルーアワーにぶっ飛ばす』にも似たような仕掛けがあるんだけど、それって予告篇からバレてるし・・。本作の場合、本篇始まってすぐその仕掛けがわかるように作られているからえーっちゃえーのかもしれんけど、だからと言ってこういうバレバレの予告篇作らないでほしいな。
『最初の晩餐』

saishonobansan.com(いくつかの家族映画やいくつかの家族物語がエラソーに主張するように)これが「家族」というものだとか押し付けられるとすっごく嫌で気色悪さはそれこそ満開になるのだが、これも紆余曲折ありながら未踏の道を踏みながら「家族」ならざるものが「家族」になっていくすじみちだ・・登山ルートみたいに・・みたいにその嫌さ加減がじんじんと「気色悪さ」(これを「気色の良さ」と感じる人もいるに違いないが)になって染みとおる作品。という意味では成功しているといえるのだろう。
しかし、目玉焼きから始まってお通夜の一晩であんなにたくさん食わされるとお腹パンクしてしまうぞ。