稍ゝおも

ややおもしろく、ややおもたく、jajaのJa,Ja,おもうこと

熱き映画

同じ名前の世界的な映画配給(&製作)会社があって、スクリーン上にその名を認めるたびに思い出さずにはおれない、サム・ペキンパーの代表作の名を戴いた古書店兼バーが、かつてわたしの住んでたアパートの真向かいにあって、映画好きが集まり、フリージャズなどのライブもよくやってて、いろんな方面にわたしの目を開かせてくれた。
いまは故人となってしまったそのお店の最初のご主人に、一番好きな映画監督を尋ねてみたところ「ケン・ローチ」というお答えで、ちょっと意外だった記憶がある。映画好きがよく挙げるようなアメリカやフランスの曲者監督ではなく(ちなみにわたしはフランスの曲者監督挙げます。その名を挙げると映画好きからは「そいつはむしろ映画の破壊者だ」とか言われるのがオチでしたが・・)、昔の日本映画(芸術映画であれ娯楽映画であれ)の監督を挙げるのでもなく、イギリスという映画的には辺境の、しかも(映画ジャンル的には主流ではない?)社会派監督の名を挙げられたのだから・・。
しかしKen Loach ケン・ローチ、あらためてその長いキャリアを見ると、本当にこの人にしか撮れない映画を、この人にしか実現できない演出で作り続けてきたことに、真に驚きの念を抱きます。その最新作が本作。

『家族を想うとき』Sorry We Missed You (Dir: Ken Loach)

en.wikipedia.org

映画『家族を想うとき』公式サイト

原題は日本だと「不在連絡票」と書かれてるあれ。なるほど英語ではそういう文言で書かれるのね。
miss という英語の単語には、いろんな意味いろんなニュアンスがあって、邦題うまく付けたなと思います。映画の中で都合2度映し出されるこの票に、手書きで書かれるそのメッセージは、いずれも家族への想いをこめた真摯な言葉なのである。
引き換え、いまどきは手書きすることじたい少なくなってしまっている。スマホや携帯であれ、宅配会社のボスが gun(銃)と呼ぶあれ(宅配便の配達人がみんな持ってて指でサインを要求される「あれ」ね)(その「銃」は映画の伏線の法則に従ってまさしく後半で発砲されるのだが・・)であれ、指先で画面のキーボードをタッチしてテクストが打たれる。しかし、君たち、そのシステムが問題なんだよ。それがその一部であるその(なにやらの)世界のシステムが、君たちを(わたしたちを)、叩き潰そうとしているのだよ!
親が説教しようとしているのに、子どもがその親の顔を見ようともせずスマホをいじってる。親が頭にきてそれを取り上げるやいなや、子どもは逆上し、その時初めて親の顔をまともに見て取り戻そうと必死に突っかかり・・とは、今時あまりにもありふれた光景だろうか。スマホごときにないがしろにされて憤る親の気持ちもようわかる。自分の半身に等しいスマホを取り上げられて逆上する子の気持ちもようわかる。そのとき、ひとびとはそもそも自分たちが既にそんな世界のシステムに絡めとられてしまってることにそれほど自覚的ではない。(文字通り「鍵」となる何かを隠した娘だけが気づいていたのかもしれない。)本作の主人公のように、働いても働いても食えないワーキングプアの罠に落とされ、グローバル経済の論理の中で誰にも守られない剥き出しのvulnerableな弱者として、義理も人情も仁義も倫理もない(なにやらの)システムに搦め(からめ)とられ、あちこちから小突きまわされて、それでも生き延びなければならないのだ・・。そのなかで「家族」が、あらゆる力に曝されていまにも毀たれ(こぼたれ)そうになりながらも、嵐の中でちいさな砦のように耐えてそこに在り続けている・・。
家族の4人ともいいな。みんなカッコつけたりしない、ぶきっちょでありのままの顔をし、ありったけの感情をこめて、そのひとそのまんまの言動をする。(こんな女の子知ってる、こんなお母さんも知ってる、みんな、わたしたちのごく身近にいる・・そう思わせるリアルな演出)。
息子を演じたリス・ストーン Rhys Stoneが『ケス』Kes (1969) の主人公の少年に面差しが似通っていて、その少年が大きくなって声変わりして低い(そのまだ稚さの残る顔に似つかわしくない艶のある)声になって、親を罵るまでに成長したのだと一瞬思いかけて、ケスはしかし1969年の作品なのだから・・と思うとその年月の飛んで過ぎる早さにクラクラする。
あれから世界はマシになったのか? ケン・ローチが一貫して寄り添い続ける弱者の置かれる状況はますます酷くなっているんじゃないのかしらと思います。
 *
ちょっと前に京都の出町座(これがデビューでした。もっと早くに行きたかったのだけど)で観てきた、サンティアゴアルバレスSantiago Álvarez 特集上映。(全プログラム観たかったけどスケジュール的に無理だった。残念!)

生誕100年記念 サンティアゴ・アルバレス特集上映

熱いモンタージュに映し出されるヴェトナム人民の顔や姿に共感しながら、チェ・ゲバラの声にあらためて耳を傾けながら、そして、ケン・ローチの映画では宅配会社のボスの憎々しい顔/姿として体現される、民衆を叩き潰そうとする「なにやらの」システムの手先の権現のように現れるLBJロブ・ライナーの同名の映画ではウディ・ハレルソンがこの上なく人間らしく演じてみせたその顔と、サンティアゴモンタージュする実物の写真と、なんてなんて違うこと!)にゾッとしながら、やはり世界は変わっていない、映画にはこの熱き心が必要なのだと、再認識したことでありました。