稍ゝおも

ややおもしろく、ややおもたく、jajaのJa,Ja,おもうこと

ジャスミン・茉莉花・melur・ヤスミン

近所の商店街のマスク販売状況。2〜3週間ほど前からあちこちのお店で売られ始めたマスク、最初見かけた頃は50枚入4900円とかシャープの一流品並みの値段つけてたと記憶する。それがちょっとの間に3900円になり2900円になり、今日見かけた最安値は1999円だった。それがよく見かけるパッケージのやつで、それとは別のパッケージの、やはり50枚入りで1500円つけてるのも見かけた。まだまだ下がるかな?

この値崩れが、商店街を通る人のほぼ誰も手に入れていないアベノマスクのおかげであるわけがないことは、子どもにだってわかる。安倍はそういうのを本気で信じている馬鹿なのか? 取り巻きが自分を持ち上げてくれる発言は、なんでもかんでも盲目的にその通りだと思っているのか?

流石に多くの人の怒りを買ったか「#検察庁法改正案に抗議します」に大勢の賛同が集まっているらしい。ホントにこのコロナ禍の真っ只中にここまであからさまな無理無体をようやる。でも、いつも通りに与野党対決の構図で採決すると、通ってしまうことになるんだよね。与党の中にもこんな暴挙はアカンと反対する人が出てこないと・・。民の怒りの声がなんとか反映されればよいのだが・・。

こんだけ慌てて通そうとするのだから、よっぽどヤバいのだろう。罪に問われるのが怖いのだ。黒川検事長にしたって、あんだけ安倍に有利な「不起訴」を繰り返してきたということは、また、こんだけ突き上げられても「定年退職する」と言わないのは、黒川本人に疚しいところがあるせいだろう。法案を首尾よく通せたとして、猶予のできたその数年間に、安倍を起訴し、黒川本人を起訴するための芽を、丹念に潰してまわるに違いない。一体どこの国のどこの時代の話よ?? こんなにわかりやすい独裁は・・。

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連休明けて、いろんなことが動き始めている。補助金とか給付金とか、もらえるものはもらわないと・・と思うのだが、混んでる窓口とか長い列とか長時間待たされるとか何よりも嫌いなわたし。ウェブとか電話とかもきっと今ものすごく混んでいるだろうから、ちょっと置いてからにする。それでもやっぱり混むだろうなぁ・・それに、なんか手続きめんどくさそうだしなぁ・・いざ申請してもまた却下とか不備とか減額とか言われたら嫌だなぁ・・とか。でも、めげていてはいけない。黙ってたら、待ってたら、なんの援助も得られない。いろいろハードル設けて、みんながめげて諦めてくれたらラッキーとか思ってるに違いない今の政府から、なんとか、なんらかの実になるものを引き出すためには、めげていてはいけないのだ・・。

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と、こんなこと書いてたらまた映画のことが書けなくなる。『タレンタイム 優しい歌』について書いておきます。「仮設の映画館」にて上映中。

Talentime - Wikipedia

仮設の映画館

・・なかなか書けなかったのは、やっぱりヤスミン・アフマド監督が若くして突然、本当に突然、亡くなってしまったことがあるかな? わたし、いっときマレーシア旅行にはまってて、毎年のようにエアアジアの安いチケットでマレーシアのあちこちに行ってたんですが(ただ単に観光に行ってただけですが)、マレーシアが好きになった主なきっかけは、ヤスミン・アフマド監督のいろんな映画なんですね。でも結果的に、マレーシアを何度も訪れたのは監督がいなくなってから後になってしまいました。

監督がゲストでいらしていた大阪アジアン映画祭、第2回だったか第3回だったかの年で、まだゲストと観客の距離がそれほど遠くなかった(いまのようにパンフレット買った客のみサイン会とかではなかった)ころ。まったく偶然のように監督と言葉を交わす機会があって(普段わたしはそういう図々しいことしないんですが・・)、そんな希少な機会に、わたしときたら、随分馬鹿なことしか喋れなかった。敬虔なムスリムである監督にそのことを少し聞いたあと、ヤスミンという監督のお名前について「ムスリム女性の名前ですね」とふと言ったところ「ちがうわ。お花の名前よ」と言われた。なぜだか「ヤスミン」がイコール「ジャスミン」だということが、わたしの頭から抜けていて、ムスリム女性の名に多い名前なので、なにか宗教的な名前だと思い込んでたのでした。しかも、なんでそんな話を監督にしたのかわからない。「え、ムスリムのお名前だと思ってました」と言うと、(わたしの思い違いを)いかにも面白く感じられたように微笑みながら、重ねて「いいえ、お花の名前ですよ」と。

『タレンタイム』はその時から2年後に撮られた作品になるけど、そのヒロインの名前が melur マレー語で「ジャスミン」の意だということが、劇中に明かされます。中国系の男の子二人、ひとりが歌いひとりが二胡で奏でた曲の名前が「茉莉花」で、その名前を持つ同級生を二人が密かに慕っていることが明らかにされるわけです。監督ときたら、ぬけぬけと自分の名前をヒロインの名前にしたわけですね。それだけ、ご自分のお名前を愛していたことがわかります。その名前の3通りの呼ばれ方でもわかるとおり、この映画の中の多言語ときたら・・みんな英語は共通に通じる言葉として普通に操るようなのですが、それぞれの家族でインド系の言葉(このたびはタミル語)、中国語、マレー語、おまけにヨークシャー英語と、しかもおしゃべりの最中に入れ替わったりして、よう通じるもんやなと感心させられます。そのなかでみんな、通じる思いも通じない思いも、軋轢も融和も和解もありながら、基本的にはおおらかなユーモアをもって関わりあって生きていますよね。主要登場人物もみんな素敵なのですが、脇役陣のそれぞれ魅力的なこと! また、タイのアピチャートポン・ウィーラセータクンの作品にもしょっちゅう出てくることですが、この世ならぬ存在がごく自然に現実の人間のすぐそばで生きているのも・・。死にゆく存在が死の天使に手渡された果物を食べるところ、恋のはじまりをたくさんの童児神が寿ぐ(ことほぐ)ところの美しさと言ったら!もちろんヤスミンのいつもの手、映画の前半で失われた存在が後半でひょっこり帰ってくるというモチーフも健在で、そのユーモラスな復活の仕方(しかもこの上なく悲痛な物語と共に語られる)にも泣きそうになりました。

このコロナ禍の時代を通じて、喪われるものはすごくたくさんある。わたしたちは決してこれ以前に戻ることはできない。同じではいられない。でも、同時に、喪われたものたちは、別のかたちでひょっこりごく身近なところに戻ってくるんだと思います。

ヤスミン監督のあらゆる映画を観て欲しい。どんなふうに戻ってくるか。そして戻ってきたものを、この世に残された者たちがどのように扱うか。いや、殊更大切になんぞ扱わないですよ。むしろぞんざいに、ごくあたりまえに、さりげなく・・。

そのかたちが、その喪われたものを愛おしむあらゆる作法が、コロナ禍を生き延びたあとのわたしたちの生き方にも関わってくるのではないのかな・・。

そのためには生き延びないとね。生き延びましょう。で、アベノマスクと一緒に、要らんもんは(むしろわたしたちが生き延びる邪魔をしようとあれこれ画策してんじゃないかと思しき百害あって一利なき政権なんぞ)一刻も早く葬り去ってしまいましょう!