稍ゝおも

ややおもしろく、ややおもたく、jajaのJa,Ja,おもうこと

厄災の年

いまのコロナ騒ぎとて、100年後の人類からみれば、あの当時の人たち馬鹿なことやってたんだねぇ・・とかいうことになるだろうか?(そんなに人類進歩していないだろうか?)

ロックダウンは大して役に立たない? でもヨーロッパではやはり感染者数が増加になるとロックダウンにしている。
マスクなり感染防止には気をつけたうえで、ある程度なりゆくままに任せた方がいいのか・・世界的にみればアメリカ、ブラジルの次はインドでどんどん感染者数が増えてるわけだから、これは人類全体の一定の割合にまで感染が広がるぐらいまでいかないと、ピークは来ないのか?
最初の頃のような大変な医療崩壊は起きていないようだし(たぶん報道されていない医療崩壊とまでいかなくても切迫があるだろうけど)致死率が減ってるようにみえるのは、これはウィルスが弱毒化したわけではなく、おそらく治療法含む対処法が格段に上達したということではないか。完璧なワクチンを開発してウィルスの完全撲滅を図るというよりは、ワクチンだって無害ではないし、どうも抗体が長続きしないという話もあるし、ワクチンが開発されれば一安心よりも、先に、感染しても重症化しないための治療法なり対処法なりをしっかり確立する方が先ではないか。

スウェーデン方式を評価する声は多いけど「高齢者に貴重な医療資源を回さない」には絶対反対。わたしの友達にも「若い人と私とで医療資源を争う事態になればそりゃ若い人に譲るわ」という人がいるけど、その方がなんだか美しく聞こえるけど、それが社会の当たり前になってしまうと嫌だなあ。この新型コロナで高齢者と持病のある人に致死率が高いのはある意味自然であって、そりゃ若い人がバタバタ死ぬような感染症は本気になって取り組まないといけないけど、普通にいまある感染症と同じぐらいのゆるい対策でいいのではないかとの説も聞く。だからといって高齢者を後まわしにするのは、高齢者はどんどん死んでいってくれた方が世のため人のため社会のため・・という例の京都の嘱託殺人の犯人の思想とどう違うのって思う。(ま、そもそもそういうこと言うてられるのは日本という国に住んでる高齢者のたわごとかもしれないが)

個人でできることはできるだけ感染しない、感染させないことに気をつけるだけだけど、まずはPCR検査なり抗体検査なりがもっと安価で(保険の範囲内で)できるようになってほし。全員検査なんて馬鹿なことは必要ないと思うけど。
これからインフルエンザの季節にも入ってくるし今年中の収束は無理か。少なくとも来年1年はかかる?このマスク着用が日常化されたりしたら嫌だなぁ・・。
映画も演劇もコンサートも外食も旅行も少しずつ元どおりになりつつある。
この厄災の年をちょうどすこし立ち止まって考える年にし、身近な人とのかかわりを深めるときにし、人生の(再)スタートの機にした人たちには幸いあれ。