稍ゝおも

ややおもしろく、ややおもたく、jajaのJa,Ja,おもうこと

感情景・・パフォーマンスの集い

曇り空のもと夕暮れの扇町公園に怪しき人々のかげが・・「感情景」なるパフォーマンスの集いがありました。もう8回めになるんだそうですがコロナ禍で3年半ぶりの開催とのこと。わたしは見学のみで初めての参加でした。

公園のそちこちをうまく使ってパフォーマーのみなさんそれぞれユニークなパフォーマンスを繰り広げ、素晴らしかったです。まったく知らない人が見ればわけのわからないことをやってるみたいでも、足を止めてしばらく見ていく人、少し離れたところからじっと見てる人たちもいましたよ。

なにやら厳粛な儀式のようなパフォーマンスをされた方々は、それを全うすることでなにかを「丁寧に」「おこなう」ということだったのかなと思います。松田博幸さんは食べること、野中ひとみさんは愛おしむこと、近藤さんは宇宙にいること、金昇志さんは祈ること(あるいは死者と語らうこと?)、平山剛志さんは自分であること、だったかもしれません。それが大真面目であり段取りなどしっかり構成されていて、しかし傍目から見ると不思議であればあるほど少しく滑稽味を帯びたりして、興味深く美しかったです。平山さんも近藤さんも松田さんも夜の暗がりのなかで光の球をうまく扱って、それがまた魂の粒々のようにもみえましたが、上手に影をつかったのがチカモトさんでした。地面や壁に映る影と戯れる動きが躍動感あって素敵でした。参加者みんなも影に参加したりしてね。広場の明るいところで参加者らを巻き込んでコールを指南した樽見萌香さんのパフォーマンスも楽しく参加しました。チカモトさんはあらかじめロケハンしてぴったりの壁面を見つけていらしたそうですが、当日ロケハンで潜水艦の伝声管を模したオブジェ(現代アートの立体作品)を見つけ、それを使って時空を超えたコミュニケーション/ディスコミュニケーションを即興の物語で演じてみせた三刀月ユキさん。公園の闇に溶けこんで次々に木々と語らいながら、それぞれの樹と一体化するように踊った犬飼美也妃さん。暗さも手伝ってホントに木の精霊のように見えましたよ。高代あささんは得意のアートジャグリングの技をフルヴァージョンで披露してくださいましたが、影が美しく落ちて一緒になって踊っているようでした。

でもそんなこんなと言葉で意味付けしなくても、何よりも「おこなう」ことそのものが大切で大事なことだったのかもしれません。松田さんがふとおっしゃっていたように。

途中ぱらぱらと雨粒が落ちてきた時間帯もありましたが雲は次第に切れて美しい上弦の月が顔を出し、わたしたち変な人たちを祝福してくれているようでもありました。昇志さんの着ていたTシャツに書かれた言葉が 'Da vicino nessuno è normale.' =近くから見れば誰も普通じゃない。「みんな変人」と訳してもいいような気がします。

犬飼さんは、樹に寄り添うパフォーマンスを、散歩した時に出会う木々がダンス譜のように見えたことから着想したとおっしゃっていました。わたしもコロナ禍で閉じこもっていた日々、少しでも体を動かさねばと思って早朝または夕方に長い散歩をするのが新しい習慣になりました。散歩から気づくこと、回り道から気づくこと、いろいろあったかなぁ・・と想い起こしておりました。