稍ゝおも

ややおもしろく、ややおもたく、jajaのJa,Ja,おもうこと

嵌り過ぎの恐怖『ハウス・ジャック・ビルト』

エンドタイトルに流れる唄(R&Bの名曲)があんまりにもピッタリで、おもわず合唱してしまったぜ。むしろこの唄からこの主人公の名前を発想したんじゃないかと疑ったくらいだが、実話がもとで実話の主人公の名もJackなの?

en.wikipedia.orgなんせこの監督の常套なんであらためて驚きもしないのだが胸の悪くなる(観客を挑発する)シーンの連続。その胸の悪いシーンに繰り返しグレン・グールドGlenn Gouldの弾くバッハが出てくるのだけは、お願いだから、や・め・ち・く・れ〜〜〜!これから虚心に聴けなくなってしまうではないか!(わたしの最も好きなピースでなかったのだけは幸いであったが)。David Bowieのほうは嵌ってまぁ良いのだけど・・。その胸の悪さを正当化するのがそのグールドであり天使(いえ悪魔?というよりは「鬼」といったほうがピッタリくるような)とのディアローグなのだが、その「鬼」役に最晩年のブルーノ・ガンツBruno Ganzが、あの、まだ分断中だったベルリン上空に現れた天使から遥かにここまでやって来たのが、また恐ろし過ぎて、悲し過ぎる。マット・ディロンMatt Dillonの狂気顔もまた嵌り過ぎで怖すぎる。天国と煉獄と地獄のイマージュはすべてのグロテスクを「美」の方向へと回収し昇華し、ラストはしかしこのシリアルキラーを救済してしまったのではないか?そのスキャンダル性がやっぱりラース・フォン・トリアーLars von Trierにハマり過ぎで、いまの映画界にこういう奴も一人はいてていいのかなって躓きの石にふさわしい。